人生を諦めたと思うとき、虚しい気持ちでいっぱいになります。
人生が輝いていた時期もあった、いやなかったかもしれません。
他の人たちが普通に享受できている境遇が自分にはなく、絶望を感じているのでしょうか。なりたくてなっているわけでもないのに、いわゆるニート生活を送る人もいます。
人生を諦めようとまで思ってしまったあなたは、多くの辛いことがあったのでしょう。あるいは、辛い思いから目をそらし、逆にもっと辛い目にあっているのかもしれません。
「人生を諦める」という考え自体は、実はかなり昔からさまざま人たちが抱いたものなのです。
人生への諦め、死を意識した昔の賢い人はどんな名言を残しているか見てみます。
引用:エピクテートス 人生談義(下) 鹿野治助訳 岩波文庫
誰かが若くして死ぬと、世間の人は「なぜこんなに早く死なねばならなかったんだ」と、不運を嘆きます。現代の日本では100歳まで生きるのも珍しくありません。しかし、事故や自殺、病気などで突然終わるのが人生です。
一方で、他人に迷惑ばかりかけているように思われる老人がいつまでも生きていると思ったことがあるはずです。歳ばかり食っていて、人間的に成長していないお年寄りもいるものです。
若くして死ぬのは嫌。歳をとって死ぬのも「いい」わけではありません。なるべく生きていたいのです。しかし人生において何かをなすべきだとも思っていません。つまり、「生きようともしなければ死のうともしないなんて変な人たち」です。
生きているうちは「もう自分の命なんてどうでもいいや」と考えることが何度かあるかもしれません。ですが、いざ自分の死が見えると、素直に受け入れることは難しいのです。
「人生を諦めた」と思っている人は、実はこの「生きようとも死のうともしない」人間になっています。
生きようとする気力も、死のうとする気力もありません。ただただ人生に絶望して無気力でいます。生きていても辛いことだらけだし、死ぬのは怖い。いっそ爆弾でも落ちてきてひと思いに死ねたら楽でしょうか。
自殺は、自殺したい人たちができるというものではありません。自殺したくてもできない人たちはたくさんいます。
自殺は生きているからこそできる一つの行動です。たとえば、落ちているゴミを拾える人がいる一方で、気づいても拾わない人がいるのと同じです。自殺という行為ができるタイプとできないタイプとに分かれると言えます。
どちらのタイプも、この人生から消えてしまいたいと思っている点で同じです。経験してきたことは違っても、同じような苦しみを抱えています。生きながら死んでしまい、結果として人生を諦めてしまう人たちは多いのです。
引用:エピクテートス 人生談義(下) 鹿野治助訳 岩波文庫
無気力でいても、やる気満々でいても、あなたはそのうち死んでしまいます。死ぬと肉体が取り残されます。生きているうちは水を飲みご飯を食べて生きていますが、死んでしまえばそんなこともできません。
あなたはまさに「死体を持ち運んでいる小さい魂」と言えます。
今は身体を自分の意思で動かすことができます。死むと動かすことはできないのに、驚くべき事実だと思いませんか。
生きているからこそ、動いたり考えたりできるのです。生きていないと生きていることに悩めません。不思議なものですね。
引用:エピクテートス 人生談義(下) 鹿野治助訳 岩波文庫
順風満帆に生きてきたように見える人たちも、思い通りに人生を歩んでこれたわけではありません。あなたと同じように、多くの困難に出会っています。
物事は自分が希望している通りに起こるものではありません。なるようになっていきます。なるようにしかならないと言ってもよいかもしれません。
どんなに対策・準備していても苦労するのが人生です。人生に対して余裕を持って接するには、未来の出来事がそのまま起こるように起きたらよいと思えることが大切です。
これから先、あなたの人生への諦めがどのように変化していくかはわかりません。ですが、起こるべくして起こることが必ずあります。それに対して「起こるように起きてくれたらいいや」とゆったりしていましょう。
思い通りの出来事だけを起こそうとするのはやめましょう。うまくいくこともあるかもしれませんが、うまくいかない場合のほうが多いのです。うまくいくはずだと思っているのにうまくいかないことが、無力感につながります。もともと人生なんてままならないことのほうが多いのに、自分に都合よく周りが動くことを期待していては、裏切られて当然です。
起きてくるすべての出来事はきっとあなたに対処できるものだと自信を持ちましょう。人生には積極性ばかりが注目されがちですが、不運に対する受け身が上手い人は人生の達人になれます。
地所が奪われました。
ではそれも取り返されたのだ。
しかし奪った者は悪い奴です。
だがそれを与えた者(神)が何人を通して取り返そうと君に何のかかわりがあるか。彼が君にそれを与えている限り、君はそれを他人のものとして世話するがいい、あたかも旅人たちが旅宿をそうするように
引用:エピクテートス 人生談義(下) 鹿野治助訳 岩波文庫
人は裸で生まれ、死んでも持っていけるものはありません。
あなたが「持っている」と思っているものは、生きている間の「借り物」です。ありとあらゆるものがそうなのです。
家族、友人、仕事、趣味、家、気に入ってるもの、すべて当たり前のように存在しています。しかし、どれもいつかはあなたのもとを去ります。自分の身体・命でさえ思い通りにいきません。
人生への諦めを感じているあなたは、多くのものを失ったと感じているかもしれません。
たとえば、お金を持つどころか借金だらけで、仕事をしてもお金がたまらない。借金を知らなかったあの頃に帰りたい。
借金でなくても、何かを「抱えている」ことに苦しんでいるでしょう。その「抱えている」という感覚もまた、幻想なのです。たしかに「抱えている」ものがあると思っているかもしれません。でも、それについて苦しむかどうかはあなた次第です。だれもあなたに苦しめなんて思っていないし、思っている人がいるならその人はあなたより恐ろしく不幸です。
あなたの人生では、必要な時に必要なものが手に入ります。時期が来れば手放さなければなりません。いつまでも自分のものなんてないことを悟り、今てもとにあると感じているものを大切にしましょう。
旅人は旅宿で休みますが、旅宿は旅人の家ではありません。たとえばあなたがホテルの部屋に泊まるとき、その部屋の模様替えをしたり新しい家具を入れたりすることはありません。同様にして、あなたの人生に与えられたものを、まるで他人のものかのように扱いましょう。すると、執着がなくなり自由な気持ちでいられます。
引用:エピクテートス 人生談義(下) 鹿野治助訳 岩波文庫
「どうせ死ぬ」と考えることは、人生に無力感を引き起こすこともあります。一方で、無理に欲望することが少なくなります。
たとえば、世界中のお金を集めたとしても、人生はそのうち終わるのです。だからといって、どうせ終わるのだからお金が無意味かというと、そうではありません。生きている間、自分が有意義だなと感じたものにお金を使い、死ぬだけです。
他にも、「どうせクビになってもいいや」という姿勢で仕事をするなら、かなりリラックスして仕事ができます。これはサボってもいいというより、無理に気合いを入れなくて済むということです。気合いを入れても入れなくても、あなたはあなたです。無茶をしても限界がきます。「クビになったらまた新しい仕事探せばいいや。もし次の仕事に就けず食べていけないなら、それは神様にもういいんだって言われてるのかな」などと気楽に考えればよいのです。
人生は、求めたものが何もかも手に入るようにはできていません。「過去に戻りたい」と思っても、一生実現することはないでしょう。
「最悪」を想定することで、尽きぬ欲望を制御できます。人生を生きるコツは、欲望と上手く折り合いをつけることです。攻める時と守る時との切り替えに、「死」の存在はとても役立ちます。
生きていないと死ぬことはできません。
「死」を思えること、人生は「死」すら活かせること、不思議だと思いませんか?
引用:エピクテートス 人生談義(下) 鹿野治助訳 岩波文庫
あなたには、今のあなたにふさわしい仕事があります。当然、チャレンジすることを否定しているわけではありません。妥当だと思えるチャレンジをしていくのは良いことです。
でも、たとえばアインシュタインが大リーガーになろうと40歳から野球を始めたとしても、きっとなれなかったでしょう。アインシュタインにはアインシュタインの仕事がありました。
あなたにも何かしらの能力があります。能力の優劣は、人生を送るのにあまり重要ではありません。もしあなたが1時間でゴミを10個拾えるとして、一方ゴミ拾いの達人は20個拾えるとします。あなたがゴミを10個拾ったことは無駄でしょうか?そんなことはありませんね。
あなたが他人と比較してしまい、無力に感じて能力を発揮できなければ、もったいないことです。世の中には多くの会社があります。でも、世界で一番大きな会社があるからといって小さな会社が無意味ということはありません。それと同じで、あなたはあなたという人生の主人です。あなたなりにできることをやってみましょう。
引用:エピクテートス 人生談義(下) 鹿野治助訳 岩波文庫
人生を諦めて無気力になると、生きている意味を見失います。その時に、いざ死ぬわけにもいかず、本当にわずかな欲望だけが残ります。ご飯を食べよう、水を飲もう、動画を見よう、ヤフーニュースでも見よう、掲示板に書き込もう、などです。生きている以上、何もしないということは不可能です。
以前は楽しいと思っていたことが楽しくなくなったり、好きなものを見つけられなかったりします。それはそれでいいのです。
さまざまなことに意欲がなくなったまま死んだとします。意欲がないまま死んだ人間だということにすぎません。そういう人は過去に数えきれないほどいます。せっかく「自分だけの苦しみ」を享受している最中なのに、特別な人間でないことが悲しいでしょうか。残念ながらあなたの苦しみは、今までの人類の苦しみでもあったのです。
人生を諦めた人に効く特効薬はありません。気慰みの言葉も、世の中のいかなる薬も、根本的な解決にはならないでしょう。ではこのまま死ぬのか、悔しい、なんだかやりきれない。そんな最後の防波堤があなたにあるなら、それはあなたの本物の魂と言えます。
自分の心の奥底から湧き出るものに耳を傾け、ほんの小さな一歩を踏み出してみたっていいのです。あなたのリベンジを、未来で待っている人たちがきっといますよ。