仕事における”集中力”の向上やストレス軽減のために、マインドフルネスが使われている。
「瞑想」という言葉だけでは、かなり幅の広い意味合いになってしまう。現実生活で役立つための「瞑想」という意味で、この記事ではマインドフルネスという言葉を利用してみる。
本来の瞑想は「苦」から解脱するための、仏教修行の一つだ。
しかし、現代のマインドフルネスは瞑想の効果の一部を利用して、日常や仕事に活かそうと試みている。マインドフルネスは特に欧米で使われるようになった言葉で、日本でもこの言葉が広まりつつある。書店にはマインドフルネスという言葉が入った書籍が多くある。
マインドフルネスを利用しようという動きは、興味深い。「悟り」を開くために瞑想をするのではなく、あくまで現実生活のために”マインドフルネス”をするわけだ。このあたりがいかにも欧米チックでいい。
「苦」から解放されるためにゴータマ・ブッダの教えを学び、その実践修行として瞑想がある。一方、マインドフルネスでは現実世界での利益を求めている。仕事に対する”集中力”という点では、たとえばマインドフルネスに熟達すれば「あーー、なんかなんとなくしんどいなーーー」のような感情を吹っ飛ばすことができる。マインドフルネスで心の動きを観察することに慣れれば、仕事中に感じた”不利益”になる感情に対処できる。感情を客観的に見つめ、肯定的な感情に変換するのである。
疑問に思う点としては、わざわざ「苦」を生み出す仕事に懸命になり、その「苦」の対処にマインドフルネスの効果を利用することだ。マッサージを受けるお金を稼ぐために残業をして、その残業代でマッサージを受けにいくというたとえも使えるが、もっと違う。瞑想をすれば、仕事の効率アップやストレス軽減などという”小さな”ことよりももっと大きなことができる。「悟り」を開く手助けになる。それをわざわざ「マインドフルネス」という名前にして、限定した使い方にしている。もちろん誰もが「悟り」を目指しているわけではない。普通の人は、現実生活で普通に役立つことがあればいいと思っているだけだから、かまわない。
本来の意図とは違う使われ方をすることで、瞑想は「イノベーション」されたとも言えるかもしれない。まるで、日本刀があったのに叩き割って包丁にしたような話である。
マインドフルネスは、”眠れる獅子”を起こす可能性がある。マインドフルネスが本来持つ深遠な効果が発揮されてしまったら、仕事のためだけに利用していた社員さんは、はたして優秀に勤め続けてくれるだろうか。