がんばる理由を探す理由

がんばる理由を探している時、がんばることは前提なのである。本来は、何かしらの理由があって、その後にがんばるのが普通だ。しかし、がんばる理由を探すとなると、前後が逆転してしまっているように見える。

普通:理由→がんばる
異常:がんばる→理由

がんばる理由を探さなくてはならない事柄について、がんばる必要はあるのだろうか。

「理由」と「がんばり」の逆転は、もともと存在した「理由」が欠如してしまったことによって起こる。たとえば、家族のために働いていた男が事故で家族を失ったとする。喪失感にさいなまれ、これから何のために仕事をするのか、あるいは何を支えに生きていけばいいのかわからなくなる。このように、「がんばり」すなわち「行動」が「理由」と別れ、ひとりさまようのである。

今までしてきた「がんばり」を続けることができるかどうかは、「理由」を新しく生み出せるかにかかっている。先の例の男の場合、なんとか自分は生きていかなくてはならないと思いながら仕事をがんばるかもしれないし、新しい出会いによって奮闘する意義を見出すかもしれない。

燃え尽き症候群は、「理由」の喪失にある。「理由」は常に変化して良いものであり、「行動」は「理由」に支えられている。新しい「理由」が見つかるかどうかは、賭けだ。深く考える人は、人生自体にそもそも「理由」がないことを知っている。「行動」は人生の一部にすぎないので、必然的に「理由」なんて欠落していて当然だと思うだろう。

がんばる理由を探す理由は、習慣的に行ってきた「行動」の正当性を「無条件」に信じた結果、「行動」を支える基盤を再構築しようとすることにある。

本当は、そんなめんどくさい思考を巡らせなくていい。「理由」がない「がんばり」を続ける義務なんて、どこにある。新しい「理由」を創造できないなら、その「がんばり」をやめればいい。自分の中に本源的に眠る欲求を受け入れ、新しい「理由」を歓迎し、「行動」しよう。改めて踏み出した道が、今までの道とかぶっていようがいまいが関係ない。今の「理由」を胸にいだきながら「がんばる」のが、人間らしい生き方なのだから。

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