ストレスのたまりすぎで、頭痛がするほど悩んでしまうあなた。現代で生きる人は仕事にプライベートにさまざまなところでストレスを感じます。
この記事では、頭痛がするほどのストレスをいかに少なくしていくかに焦点を当てます。
ストレスがたまるのは、もちろん環境のせいもあります。ストレスフルな場所が世の中にはあるものです。しかし、あなたの考え方しだいでストレスは激減します。
ストレスがたまらない考え方を身につけましょう。そうすれば仕事であろうとプライベートであろうと無敵になれます。
サンマーク出版、さとうみつろう著『悪魔とのおしゃべり』より引用させてもらい、参考にしております。
あなたを苦しめているのは「正しさ」
「正しさ」のせいで貴様ら人間は苦しんでいる
人間は「正しさ」以外の方法で、苦しむことなどできない
「正しさ」を抱えすぎた貴様らは、今では何もできやしない。文字通り、身動き1つ取れない。道も歩けない。息も吸えない。「やりたい」こともやれない。それどころか、自分が何を「やりたい」かを言うことすらできない
あなたはなぜ自分が今ストレスを抱えているのか理解していますか?人によって過去も現在の状況も違うので、人それぞれストレスの原因が違うと思っているかもしれません。
しかし、頭痛がするほどストレスを抱えている方には共通点があります。みんな自分が思っている「正しさ」で苦しんでいるのです。
たとえば
・職場の人たちと仲良くやるのが正しい
・いじめがないのが正しい
・仕事にやる気がある自分が正しい
・かっこいい・かわいい私が正しい
・人から尊敬される自分が正しい
そんな風に、自分の頭の中で「これが正しい」と思っています。
ですが、現実はあなたの「正しさ」と矛盾しています。だからストレスに苦しむのです。
世界には絶対的な「正しさ」はありません。あなたの中にしか「正しさ」はないのです。もちろん、一般常識や法律のような「正しさ」はあります。それは、「多くのの人たちが「正しい」と思っているのかな」程度の「正しさ」です。
あなたがそれらを「正しさ」とするのかは自由です。
いずれにしても、「こうあるべき」と思うことと現在がずれているから苦しみます。
「正しさ」を疑え
自分を責めるヒマがあったら、『正しさ』を疑え!
抱え込んだ「正しさ」が、実はその人の未来の可能性を奪っている
今の貴様らに必要なのは、もはや「悪」だけだ
過去を振り返って、「なんでこんなことをしてしまったんだ!バカな自分」などと責める必要はありません。
たとえば仕事のミスなら、誰でも仕事のミスはします。何度も同じ間違いを繰り返すことも、人類の歴史上いったいどれだけの人間がそうしてきたと思っているんですか。
誰かを傷つけたからといって、みんな誰かを傷つけたり誰かに傷つけられたりするんです。あなただけが特別ダメなのではありません。
「こうするべき・ああであるべき・これはダメ」などの「正しさ」があなたを縛りつけています。たとえば「新しいことをはじめたいけど、歳をとってるから諦める」とします。「歳をとったら新しいことには向かない」なんていうよくわからない「正しさ」のために一歩を踏み出せない。そんな「正しさ」は必要ないと思いませんか。
人間はいつだってどんなことだっていつからだって挑戦していいんです。バカにされる・理解されない・失敗する・みじめになることがあるかもしれません。しかし、それがなんだというのですか。
あなたが持つ「正しさ」を疑ってみてください。いかに「正しさ」に縛られているかわかります。それらを「正しい」ままにしておいていいのか、疑ってみてください。
世の中はどうしようもないクズばかり。自分も含めて
世界中、クズしかいないと思っている
自分にすら期待してはいけない
過去の自分を、勝手に盛るな!あなたは今日と変わらず、過去でもどうしようもない人間だった
世界中には、醜い感情にまみれながら欠点をさらけ出して生きている人たちばかりです。自分たちのことは棚に上げて、まるで立派なことをやっているかのように装っています。
残念ながら、あなたもそんな人間たちの一員です。どうしようもない欠点がたくさんあります。なので、自分にも過度な期待をしなくてかまいません。
あの頃はよかったと、過去が輝いてみえることがあるかもしれません。毎日が冒険だった子ども時代、友達との触れ合いが楽しかった学生時代、お金はなくとも夢と希望があった青年時代など。
しかしそれらは今のあなたが作り出している妄想です。その頃にはその頃なりの苦労があったはずです。すっぽり抜け落ちています。また、そんな「素晴らしい」時代を経て成長したのが今のあなたです。
本当に昔のあなたが素晴らしかったなら、なぜ今のあなたは素晴らしくないのでしょうか?ストレスに悩んでいるのでしょうか?
以前の自分が優れていたことなんてなかったのです。そして昔も今も「あなた」のままです。
過去を美化するのをやめましょう。
人に期待するな
全ての怒りは相手のせいじゃなく、相手に期待した自分のせい
「誰にも」「何にも」期待していない人間は、怒ることが絶対にできない
さきほど言ったように、世の中は「どうしようもない」人たちで構成されています。なので、本当は期待する意味なんてないのです。
これはすごく冷たく聞こえるかもしれませんが、どんなに大切な人でも人間は人間です。不完全です。
怒りの感情は、期待が裏切られた時にしか発生しません。これは、たとえば仕事で注意をしたり子どもを叱ったりするのとは違います。必要だからすることと、怒ることは別物です。
この世界に怒るほどのことがないという真実、むしろ寂しいですか?
くだらないこの世界を笑おう
世界は、どうしようもない奴らの集まりだ。あなたと何1つ変わらない、実にくだらない人間どもが、向こう三軒両隣り、さらにその先までひしめき合っているのが、この世界の実相だ
このあまりにもどうしようもない星に。なんだか、笑いが込み上げてこないか?イーッヒッヒッヒ
人間は誰しも悩み苦しみ、くだらない間違いを繰り返し犯します。あなたがもし違う星の民族だとして、地球の人間たちを見たらどう思うでしょうか。
人を助けることも、憎むことも、恨むことも、愛することもする人間たち。通勤電車では圧迫死されそうになりながら、どうせ死ぬのにストレスを抱えながら働きに行きます。本来自分のものでもないものを自分のものだと思い込み、挙げ句の果てには死んだ後にもそれを守ろうとします。
どうしようもないですが、すごく興味深いと思うのではないでしょうか。
あなたがストレスを感じるなら、この世界に対して一生懸命すぎるのです。もっとくだらないのです。真剣にやることもあるけど、それがまた面白いのです。あなたに必要なのは、くだらない人間世界への達観と、楽しめるものは楽しんでしまうユーモアです。
生きているだけでみんな誰かに迷惑をかける
「生きる」ということは、誰かへ迷惑をかけることだ
貴様ら人間は、「自分は悪いことをしていない」と言い張っているが、少し違う。「自分が悪いことをしている」と気づいていないだけだ。どんな善い行いも、同じ量の悪さを含んでいるのが当然さ
それなのに、目に見える「善い」部分だけをひけらかす[善人]というのがこの街には溢れている
迷惑をかけずに生きてきた人はいません。生まれたばかりの時には親など大人の世話にならなければなりません。
自分は知らないうちに誰かに迷惑をかけていることを認識しましょう。なるべく迷惑をかけないように心がけることは良いことだと思いますが、やむを得ない時はお互い様です。もしあなたが急に胸が苦しくなって、誰かに救急車を呼んでもらうとします。「いや、迷惑だから…」なんて言っていたら命に関わります。
迷惑をかけることもあるから、身近な人には小まめにお礼を言っておきましょう。
迷惑をかけられても助けてあげる、あるいは許してあげてください。
本当に自分のことしか考えないタイプの迷惑な人もいますね。老人、中年、若者など、それぞれの世代にどうしようもない人たちがいます。そんな人たちに腹が立っても仕方ありません。ダメな人はずっとダメなままで、「これをしたら他人に明らかに迷惑をかけるな」と思える想像力もありません。そのような想像力がないので、かわいそうな人たちなのです。自分のことしか考えないから他者を助けられません。自分も助けてもらえないので、いっそう自分のことしか考えられません。悪循環です。憎しみに囚われた人たちに同情し、許してあげましょう。
毎日が楽しくなる。「正しさ」はないのだから
「正しさ」にとらわれなくなると、どんなことでも楽しくなります。「正しさ」は自分が苦しむために持つものではありません。
たとえば、猛暑が続く夏なのに、学校にクーラー
がつかないとします。以前とは明らかに違う夏の暑さです。なのに、クーラーを導入できない学校があります。経費がかかるし、そもそも今までなくてもやってこれたんだから大丈夫ではないかと。熱中症は命の危険もあり対策が必要ですが、大人の考えで導入できていないわけです。
これを「なんて大人たちなんだ!子どものことを何だと思ってるんだ!」と感情的になるのは良くないことです。
必要なものをすぐに取り入れようとするほど人間は柔軟な生き物ではありません。人類の歴史では、進もうとする者に対して進むまいとする者が常にいます。そうやって人間は生きてきたのです。
クーラーのない学校に通う子どもがあなたにいるなら、学校などしかるべきところに必要な主張をするべきでしょう。しかし自分にまったく関係ないのに「そんなひどい話はない!」と怒っているなら、その人はどれだけ暇なのでしょうか。
俗世間には、自分に関係がないのに人様のことで感情を乱す人が大勢います。立派でもない人が、たまたま過ちを犯した立派な人を責め立ててもてあそびます。「立派な人はそもそもそんな過ちなんてしない!」と思うのはあまりにも人間として未熟です。どんな人間でも過ちを犯し、程度にもよりますが、それが犯罪となるかは紙一重なのです。犯罪は時代によっても変わる気まぐれな性質を持ちます。
「白か黒か」で人間や物事を判断するのはやめましょう。さまざまな色が溶け合った「カラー」で世の中を見ましょう。すると、あなたは一つ成熟します。こうでなければならないという「白か黒か」の思い込みから離れ、いつの間にかストレスがなくなっています。
幸せを探している人は不幸
「どこかが悪い」と思い続けた女性の「勘違い」以外は、何も悪い所などなかった
現状を疑い続ける姿勢こそが、現状を悪くしていた
とにかく、世界には「正しい」勢力がはびこっている。彼らは、「もっと、良くなれる!」と言う。その全てが「今は良くない」と言ってるわけだ。「現状」をもう否定しているのさ
幸せを探している人が、一番「幸せじゃない」
「お金があればもっと楽しく暮らせるのに」
「顔さえ美形で産まれてくればモテモテだったのに」
「この人とさえ結婚しなければもっといい人と結婚していたのに」
現状を肯定できず、ありもしない空想を正しい状態だと思っていませんか。「自分はこんなはずではない」と、頭の中の「正しい」自分を作り出します。ですが当然、頭の中の自分と今の自分は食い違います。
今のあなたは、ベストを尽くしてきた結果です。もっとできたはずの過去なんてなかったのです。
頑張れなかった
決断できなかった
勇気がなかった
つまらないミスをした
ドジを踏んだ
これらがあって普通なのです。人間ですから。
だから、過去を悔やんだり、未来に都合の良すぎる空想に浸るのはやめましょう。
あなたがやりたいことを好きなようにやればいいのです。「正しさ」に左右されることなく、軽快に、笑いながら生きましょう。
他人がいてはじめてあなたの能力は活きる
「能力」には、「行使する者」と、「行使される者」が必要なんだから。人は、1人では優しくなれない
「優しさ」という能力は、「優しくされる人」と「優しくする人」がいて初めて行使できる。全ての「能力」が、そうだ。歌唱力も、腕力も、背の高さも、器用な手先も。1人では、その能力が行使できない。要するに人間の「能力とはすべてが、他人のためにあるのさ
私が持たされている他の人よりも優れた「能力」とは、世界のために使うモノだ
「わたし」とは「だれか」のためにある道具
あなたにある「能力」はすべて誰かのためにあります。自分のための「能力」もあります。食べたり飲んだり息をしたりすることなどです。この能力がなければ、自分で自分を生かすことはできません。
一般的に考えられる「能力」とは面白いことに、他人がいなければ成立しません。世界に人間が一人しかいないのに足の速さは競えません。他人がいてこそ自分の足の速さがわかります。
あなたの「能力」が人より優れているかどうかは重要ではありません。あなたに「能力」があることそのものが大切なのです。なぜならあなたは人間である以上、何かしらの「能力」があるはずだからです。
たとえ不自由を抱えていて社会貢献が難しくても、家族の生きる支えとなる「能力」があるかもしれません。
あなたは自分の「能力」を他者との比較においてだけ見ていることはないですか?たしかにあなたはサッカーが少しできたとしても国の代表選手にはなれないかもしれません。でも、近隣のアマチュアサッカーチームに入ってプレーすることはできます。サッカーが好きな人たちと共にプレーすることそのものが、他人への貢献と言えるのではないでしょうか。
もしあなたが「能力」に劣等感を感じて「能力」を発揮するのを躊躇するなら、本当に残念なことです。「能力」を優劣だけで判断してはいけません。「能力」の意義は、その発揮によって他者に貢献してこそ生まれるのです。あなたの「能力」が高いか低いかはどうでもよいということです。
高い低いという比較を超えた「能力」。あなたにもあります。あなたの「能力」が発揮されることを待っていますよ。
すべて受け入れよう
自分も、他者も肯定しましょう。同じ人間です。辛いことも悲しいことも、楽しいことも愉快なこともあります。すべての人間が死に、時代は変わっていきます。また新しい人間たちが、同じようにいろんなことを思いながら生きます。あなたもそんなつながりの中にいます。
ストレスを抱えてしんどいことも、そのうち終わります。終わらないものはないのです。ストレスさえも愛してみてください。「ああ、こうしてはるか昔から人間はストレスに耐えてきたんだな」と。ストレスを感じることは、あなたが人間である証とも言えます。そしてストレスは克服することができます。
すべての「正しさ」を乗り越え、あらゆるものを愛してみてください。あなたの「能力」を発揮し、好きなように生きてみてください。