人生における仕事との向き合い方。仕事の意義を感じない、仕事を辞めたい、仕事に行きたくない人へ。

現代の日本で大人になれば、仕事と自分との関係が生まれます。

もちろん、仕事をしないで生きていける裕福な人もいるでしょう。

普通の人でも仕事をしないで生きていけますが、
生活保護を受けたり、養ってもらったりすることになります。

ここでは、生きていく前提で、かつそのためには仕事をする必要がある人を対象にして書きたいと思います。

仕事にそもそも意義、やりがいを感じない人。
人間関係が良くない・プレッシャーが強すぎる・思うように行かない現状の仕事を辞めたい人。
仕事を思うだけで朝起きるのも辛い・人間関係で悩んでいる・仕事ができないから仕事に行きたくない人。

仕事をしている人の数だけ悩みがあります。

仕事を辞めたい・仕事を変えたい・転職したい・行きたくない人

今の仕事が嫌なだけで、他の仕事に魅力を感じる人がなすべきことは簡単です。魅力を感じる仕事への転職活動をがんばればよいだけです。今の仕事が終わったら新しい仕事に向けての勉強に励んだり、休日もそのために費やせばいいでしょう。転職をしたい、余暇も過ごしたいというのもけっこうです。でも、人生の時間には限りがあります。1日24時間の中で時間を割り振り、納得のいくように活動しましょう。

今の仕事をやめると生きていけるか不安だと感じるなら、具体的にどのような状態にあれば不安がなくなるのか考えましょう。たとえば、とりあえず3ヶ月生活費があればよい、などです。その間に転職活動をします。失業手当がある人など、状況は一人ひとり違うので、自分にあった答えを出すしかありません。正解はありません。強いて言えば、あなたが必死に出した答えはすべて正解です。

あまりに仕事について不安・心配なら、あなたが過剰に「自己保存」をしている結果です。自分を大切にしすぎているんです。
仕事に行きたくないと思う人は、怒られるからでしょうか、怒鳴られるからでしょうか。みんなの期待に応えなければとプレッシャーを感じているのでしょうか。
あなたに降り掛かっている問題は、解決可能だと信じましょう。つまり、どうしようもないなら、神様が悪いとでも思っていれば良いですし、任せられた仕事がうまくできなかったなら、任せてきた上司が悪いのです。

人間とは、現象にすぎません。あなたや私は人間の身体という、一種の「借り物」をこの世界で身につけているだけです。あなたも私も100年経たないうちに火葬場で燃え、骨となっています。生きている間は、五感でさまざまなことを感じることができます。脳みそでたくさんのことを考えて、世界を解釈します。そして死にます。必死になって「あなた」を守って、大切にして、本能のなされるがままに生存欲求に屈するのは、精神を持つ人間として悔しいでしょう。思うままに生きていくことが、われわれ人間にはできるのです。

そもそもすべての仕事に絶対的な意義はない

仕事に意義ややりがいを感じない人は、普通です。そう感じる人は鋭い人、世の中のことに対して冷めた見方をしがちな人、世界に距離感を感じる人、といったタイプでしょうか。

簡単な話で、すべての人間はいつかは死に、できたものはいずれ壊れます。医者は病気を治す手助けをしますが、患者の寿命が少し伸びたり、苦痛を和らげる・なくすことしかできません。何年後か何十年後には死ぬ人たちの治療を行います。もし”絶対的な意義”を求めるなら、死ぬ運命にある人間の延命をする医師の仕事は無意味でしょう。

建物を作る人だって、その建物は未来永劫残り続けるわけではありません。食料を生産している人だって、今生きている人たちの胃袋を満たしていますが、どんな食べ物であったとしても人間を永遠に生かすことはできません。

一般的に立場が良い・尊敬されるような仕事でさえ、根本的なところを突き詰めていけば”絶対的な意義”はありません。短い人生の中で「あの仕事は立派だ」「あいつは出世して偉い」などと言って、妄想に翻弄されて生涯を終えるのが大半の人たちです。

現代日本において、仕事をどのように捉えればよいか

現代日本では、ホームレスの人たちもホームレスなりの仕事をしています。路上で乞食をして生きていくことが非常に困難、ほぼ不可能だからです。働かずに収入を得るにはさまざまな手段がありますが、積極的な不労所得という意味では資産運用の配当などがあります。しかし多くの人には関係のない話です。
他に、生活保護や年金などもあります。これらは自分がそのお金を受け取る資格があるかどうかが大事です。生活保護を不正に受給すれば、その不正をした人生を背負うことになります。人生の幸福は心の清らかさ・平安にあるので、間違ったことをしていれば報いを受け、苦しむことになってしまいます。生活保護などは、自分がどうしてもそういう状態になってしまったときに考えればよいのです。

遺産や貯金がない人は、基本的に仕事をして生きていくことになります。
仕事の種類・労働時間・労働環境・向き不向き・給料の多い少ない、などの問題と向き合います。

具体的な問題で悩んでいる人は、解決が簡単です。給料が少ないなら残業をして長時間働くか、給料が高い職への転職を考えねばなりません。

「それが簡単にできるなら苦労しない!」と言うなら、不可能なことを考えて悩んでいるようなので、不思議です。
太陽はなぜ西から昇らないのかと腹を立てているのと同じです。

どうしようもない状況であるならば、ジタバタする必要はありません。やれるところまでやって、やれなくなったら終わる、それだけです。

人生を生きる意味・意義がわからず、それにともなって、生きていくためだけにする仕事に疑問を持つ人はどう考えればよいでしょうか。
よくある話では、「会社と家の往復だけ。仕事は忙しく、家では寝るだけ。好きなことも特になく、休日は寝て過ごしてしまう。こんな人生にいったい何の意味があるのだろう」などです。

人生は楽しいことをするためにあるものではありません。楽しんでもよいですが、楽しまなくてもよいのです。あまりにも楽しいことをしてしまうと、楽しい記憶を引きずってしまい、楽しくないときに苦しみます。降ってくる「楽しさ」を享受するくらいが人生にはちょうどよく、「楽しさ」を追いかけてしまうと、欲望の奴隷になってしまいます。「楽しさ」も、あるいは「苦しさ」も永遠には続かないことを知り、心穏やかに日々を送りましょう。

仕事とは、「あなたが生きている間に人々とどのように関わり合っていくか」である

すべての仕事において、”絶対的な意義”はありません。医者だって弁護士だって農業従事者だって工業従事者だってサービス業の人だって、どんな仕事だって”絶対的な意義”は持ち合わせていません。

かつて釈迦は教えを説いて、弟子たちは仏教としてまとめあげました。仏教は現代の人間の”苦しみ”を取り除けているでしょうか。イエス・キリストは苦悩を救えているでしょうか。

本屋に行けば多くの「お悩み解決本」が存在し、巷には精神科や心療内科も多くあります。
しかし、人間たちの努力をあざ笑うがごとく、現代でも困難に満ち溢れた人が大勢います。

すべての人間がいつか終わりを迎える人生で、仕事をどのように捉えればよいか。

仕事とは、あなたが生きている間に人々とどのように関わり合っていくかです。
あなたの良心に反しない限り、どんな仕事をしてもかまいません。犯罪や悪に関わる仕事、やましく感じてしまう仕事は避けるようにしましょう。そのときはよくても精神をむしばみ、大きな苦しみを生む原因になります。

すべての人間が死ぬ運命にあるこの世界で、仕事の意義を求めることは不可能です。求めることができるのは、”ある”ものだけです。”ない”ものを求めてさまよってはいけません。

生きている限り、あなたはどんな努力をしてもかまいません。間違ったことをしていないと思える努力なら、たとえ誰かが無駄だと思っていても、関係ありません。大いに、あなたの能力を発揮しましょう。

あなたに能力があるかないか、大きな仕事ができるかできないか、出世するかしないか、お金を稼げるか稼げないか。多くの人が気にするこれらのような事柄は、究極的には無意味です。

大切なのは、一人一人の人間が自分の人生において、どのように人と関わり合いながら生きていくかなのです。

人とどのように関わっていけばいいか。なるべく人とは離れて生きていくのか、それとも多くの人と関わって生きていくのか。そういった答えは、あなた自身が導き出すものです。他人に言われたから、人生を生きるのではありません。

間違ったことをすれば報いを受けて苦しみますし、妄想に囚われていては思うように生きられないでしょう。

冷静に物事を見て、正しく行動しさえすれば、あなたが会社員であろうが社長、野球選手、サッカー選手であろうが関係ありません。

あなたがする一つ一つのことがあなたをつくり、この世は無常であるがゆえに大小に関係はありません。あなたが歩道でゴミを一個拾って捨てれば、その歩道にはゴミが一個無くなって綺麗になるでしょう。ゴミを十個拾った人が別にいたとしても、あなたが一個のゴミを拾った尊さがなくなるわけではありません。

あなたと世界との関わり方が、あなたにとってのすべてなのです。