黒い蝶がとまった

先月8月後半の話。

私の右胸に黒い蝶がとまった。突然のことでハッと驚いたのは私だけでなく、向かいの歩行者の方もびっくりしていた。

黒い蝶は、「死者からの使い」や、「死と再生」を意味するとか、
「死」と結びつけられてきた歴史があるようだ。

黒い蝶がとまったことは偶然にすぎないわけだが、
そこに「物語」を見ようとする気持ちが面白いと思った。

人生の歩みは、意味を見出し続ける試みと言える。
意味なき生活に耐えられる強い人はほとんどいない。
大抵の人は日々のささやかな楽しみや目標を支えにして、なんとか生きている。
過去を思い起こし今の自分の存在を立脚し、未来を想像することで今の歩みに意味づけする。

たとえば黒い蝶の話で言うなら、現在転機にある自分に対して、亡くなった祖父が励ましに来てくれたと考えることは自由だ。元来なんの意味もない事実に対して、解釈を加えることで、意味が生まれる。黒い蝶が胸にとまったとしても、その一瞬驚くだけで、あとは忘れてしまうなら、その出来事は発生しなかったも同然なのである。でも、「亡くなったおじいちゃんが、がんばれよって言いに来てくれたのかな。8月はお盆もあったことだし、向こうへかえる前に、こんな自分を励ましてくれたのかな。」と考えるなら、また今日と明日をがんばってみようかという思いになってくる。

意味がない世界、言い換えれば自分自身が自由に意味づけし続ける世界で、私は今日もお昼ごはんを何にするか考えている(午前10時執筆)。

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