待ちながら、待つことを忘れる

待つことが好きな人はあまりいないと思う。

現代はますます「待つ」ことを避けていて、人間の社会的成功にも早さが注目されている。
最年少なんたら記録がニュースにならない年はない。

望んだ未来がだれしもすぐに来てほしいと願っている。
努力した日々が実を結ぶことを、どれだけの人が待っているだろうか。

でも、時期でないときに報われることはなく、
努力しつづける先にあるトンネルの出口には、「待つ」ことがぶらさがっている。

「待つ」という名の短冊を悔しさのあまり握りつぶしても、
手に残るのはあせりと後悔だ。

では、「待つ」が星に届く何万光年を旅するには?
忘れること。出来事を迎えに行くのではなく、気がつけば目の前にあること。
それが究極の「待つ」かたちである。

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