吉本の闇営業

久しぶりの更新。

時事問題でも、日常的なことでも、思ったことでも、生きていれば様々な題材に出会う。ただ、大人になると特別真新しいことなどない。当たり前の話だ。日本人は相変わらず日本人らしいことで騒ぎ、いかにも日本人らしい鈍感さとリアリズムで生きている。新しいことに出会うためには、自分で文章を書いたり芸術作品を作ったりするなど、創造しかないのである。

つい最近、吉本の闇営業の話題を目にした。このニュースひとつとっても、やはり現代日本人の縮図を見ることができる。吉本がどんな契約形態をとっていようが、宮迫と亮が闇営業をしようが、一般人には何ら関係がないことなのに、大して話題もないから空中でこの出来事をもてあそんでいるのだ。日本人は「自分がどう思うか」が全くないと言ってもいいほど希薄で、「それは世間が許さない」というような虚構の上の虚構で議論することを好む。現代はその傾向がさらに強まっていて、非常に気色が悪い。宮迫と亮は会見をして、それを見た人が、「彼らは説明責任を果たした。あとは吉本がきちんとしなければならない」などと言っていて、笑ってしまう。どんな立場、どんな目線に立ってこのような発言をしてしまうのだろう。理解に苦しむ。日本人は一体どこへ向かっていくのか。

簡単に言えば、彼らは引退などする必要はなく、反社会的な集まりに今後出かけていかないように注意しておけば良いだけだ。たとえば自分の近しい人、家族でも友達でも、そのような人が世間的に「危ない」人と付き合っているなら、それはやめなよというのが人並な人情であろう。多くの人は社会からずれて生きていけるほどの精神的なタフさはなく、よく知られた虚構の中を生きるのがおすすめだからである。

このニュースに触れ、「一般人」と呼ばれる人たちの非道さといったら甚だ醜い。芸人がお金に苦労する話は周知といってもいいほど有名な話。芸人の苦労話、舞台の報酬の少なさなど、テレビで当たり前のように流されてきたではないか。それを知っててもなお、自分たちには関係ないから、新しく出てくる若手芸人たちをつまみ食いしては笑い転げている「一般人」のその不潔さこそ、誠実の証だったではないか。

宮迫と亮は「売れている」芸人だったから、そんな芸人でも闇営業をしなくてはならないのかという衝撃はあっただろう。テレビや劇場などのお金で十分に生きていけたはずだ、なのになぜ!と。それならば言うが、人はいくらあれば満足して生きていけるのか教えてほしい。月に100万円稼いでいる人たちに対して、月に15万円でも生きていけるよと言うのだろうか。つまり、金銭欲については人それぞれであり、議論の的にすることはできないのである。少しでもお金になるチャンスがあるなら飛びつく、簡単に理解できる話だ。

彼ら芸人が反社会的な人たちからお金を受け取ることで、反社会的な人たちの活動意欲をさらに増進させるかどうかは、なんとも言えないだろう。闇営業があろうがなかろうが、反社会的な活動でお金を稼ぐ人が消えないことは確かである。

私は、闇営業をした芸人たちが気の毒だとは思っていない。彼らはこの世の道化師として人気を博していた。芸人の血と汗の結晶をリビングで尻を掻いてポテチを食べながらゲラゲラ笑い、つまらなければチャンネルを変え、自分には関係ないけどなんか良くないっぽいことをしたみたいだから暇つぶしにわあわあ言ってやろう。そんな人間たちの支持を受けて、仕事をしていたのだ。芸人として、滅びるべくして滅びるか、その前に命が尽きるか。どちらかしかないなかで、前者だった。

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