昔、恋人が住んでいた街

先日、昔の恋人が住んでいた街を訪れた。恋人と別れて街を後にする時、「次ここに来るのはどんな時かな」などと思っていたが、なんのことはない、散歩で通りがかった。

お店はもちろんかなり入れ替わっていた。しかし、残り続けているお店もあり、思い出が店番をしてくれていたようで、ふと微笑んだ。私を出迎えてくれた過去は無防備で、どんな解釈も受け入れてくれる大らかさがあった。

街は、”若かった私”を目の前に連れてきて、胸を締めつけたかったのだろう。でも、あっさりと受け入れた私には、締めつけるのがたとえ胸ではなく首であったとしても、大きな違いはなかった。

私は元来、感傷的になりやすい性格なのかもしれない。いや、むしろ感傷的になることを通じて、人生の旅に色合いを増やす癖がついてしまっているのだ。後悔と無力に身をやつす贅沢を、生きている自覚の傍らに備え、足裏を貫いた釘を見つめている。