【読んだよ〜】小川洋子『約束された移動』非常に枯れた文章で、物語の展開が静か

久しぶりに短編小説集の文庫本を買った。小川洋子の『約束された移動』である。表紙の装丁が綺麗で、そこが惹かれた。帯の宣伝文句としては「密やかで美しい、珠玉の短編集」とある。どれくらい美しい物語が紡がれているのだろうかと期待したが、至って普通の短編だった。それが正直な感想である。

『約束された移動』以外にも短編が収録されているが、『約束された移動』について書きたいと思う。非常に枯れた文章で、物語の展開が静かだった。一つ一つの日本語が心地よく連なっていて、熟練した物書きであることが容易にうかがわれる。ただ、それだけではある。おそらく現代の新人賞に応募しても通ることはない。たとえば三島由紀夫の小説も素晴らしいが、これも同様にして現代の新人賞で評価されることはないだろう。もうこういった落ち着いた物語と日本語を愛する読者はほぼ死滅したからである。小川洋子は間違いなく本物の物書きであることが「約束された移動」を読めばわかる。どうせ大した物書きではなく貧弱な女性作家だと思っていたが、そんなことはなかった。私は食わず嫌いをしていた。しかしやはり、物語が古い。こんなささやかな感情と繊細なタッチに感動できる読み手が死滅したのだ。なんて悲しいことなんだろう。売文家が蔓延るどころか、売文すらできない貧乏作家たちの時代に、また一つ生きた化石ができたと言える。『約束された移動』を読んでそう感じた。 

あらすじを語るつもりはない。だいたい書評を書く人も述べる人も、あらすじを語るのに時間を使いすぎなんだ。馬鹿馬鹿しい。文学ユーチューバーとか読書ユーチューバーとか、自分の貧弱な感性を棚に上げてあらすじばかり語りすぎなんだよ。それでも簡単に説明するなら、ハリウッド俳優が宿泊するたびに本を盗んでいて、それを黙認することで客室係の自分だけ悦に浸るキモいおばさんの話だが、いたって内容はない。では、なぜこんなに中身もなく面白みもない話が読めるかというと、ひとえに小川洋子の文章の運びが心地よいからだ。文学とは、こういうところにあるもんだなと痛感する。人間の苦悩とか喜びとか、どうでもいいんだよ。そんなものは出尽くしたし、今までの人間も今の人間もこれからの人間も、ずっと同じ。人間の感情なんて大した幅もなければ、テンプレートの感情ばかり。人生の絶望とかをいい歳こいて言っているやつらは、精神の成熟が遅れすぎている。もうね、二十一世紀なんだよ。いい加減わかれよ。十九世紀や二十世紀までだよ、まるで自分こそが人生の真実を描いているなんて気負うことができるのは。小川洋子の『約束された移動』みたいになんの中身もないけど、どんぶらこと川上から流れてくるような日本語で、気がついたら大海を泳いでいるような物語があればいいのさ。

はーあ、本屋に行くと虚しいよな。一生懸命に売文している売文家の本が所狭しと並んでいるのに、それすら大して売れていない。売るために物語をこねくり回している連中に、小川洋子『約束された移動』を読ませてやりたいよ。お前らが大衆に迎合して頭をひねりまくってろくろ首になっている後ろで、小川洋子はこんなにどんぶらこ物語を綴っているんだぞ。春光にきらめく川に流れる言の葉は、大衆が待つ汚泥まで届くことなく、ひっそりと川岸の小石にひっかかっている。あーあ、文学って死んじゃったよな、あーー〜あ、嫌になる。

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