「何者にもなれない」と悩む人がいる。ここで、「あなたは特別だ」とか「人間は一人ひとりが貴重な存在なんだ」などと言うこともできる。これらを否定するつもりはないし、だからといって肯定するつもりもない。
正確に言えば、「よくわからない」ということだけだ。
なんだろう、「よくわからない」ということだけは「よくわかる」。これは人生の面白い矛盾で、醍醐味だ。
「何者にもなれない」と悩むとき、「何者かになった自分」を想像している。特に何かになりたいわけではないが、なんとなく「何者にもなれない」自分の人生は何なのだろうと思うこともあるかもしれない。
「なーーーんかなぁ、なーーーーんか違うんだよな」
「はーーーーーあ、今までの人生なんだったんだろう。これからどうやって生きていこう」
この世界には「キラキラ」した人たちがいて、「あなたが本当にやりたいことをやりなさい」「生きたいように生きるのです」「できると信じなさい」と言っている。
「じゃあそうしよっかな!」とテンション高くなるのもつかの間、また今までの自分に戻ってしまう。
この記事で私の言葉を読む人は、きっと「誠実な」言葉を期待しているのだと思う。主張というのはどこか偏っていて、納得しそうだけど、やっぱり納得できないやと思っているから放浪する。放浪するという言い方が悪印象なら、旅に出る、という感じ。
あなたは「何者かになる」とはどういうことだと思う?
日本で知らない人はいないというほどの有名人?日本一、世界一の美しさ?世界で一番の大富豪?尊敬を集められる人?エジソンやアインシュタインのような天才になる?ごくごく平凡な毎日をただ過ごしたいと思う人?
数え上げればキリがないかもしれない。
結局のところ、いくら他人に憧れてもあなたはその他人になれるわけではない。あるいは、どの他人にもなりたくないあなたは、その他人のようになる必要もないし、なることはあり得ない。
あなたが今現在「何者かになった人」がいると感じているなら、その人は「何者かになりたかった」というわけではない人だ。一流の人達の中には「自分にはこれしかなかった」と言う人も意外にいることを気づいているだろうか。あなたが当たり前のように経験してきたことを、ある人は経験できていない。あなたにはあなたにしかない経験がある。迷い続けてきた、悪戦苦闘してきただけだと思っているかもしれないが、そんなことはない。選択肢が多かったからこそたくさんのことに悩み苦しんで来れたのだ。選択肢が少なければ、ない選択肢の中からやるしかない。あるいは、狭い世界観の中で生きていかざるをえない。
あなたが思う「何者かになる」という概念は想像の産物だ。実際には誰も「何者か」なんかになっていない。どんな人もあるときは喜び、あるときは悲しみ、あるときは怒り、あるときは切なくなる。もちろん、我々人類の記録に残るような人間になる、という「偉業」を成し遂げた人もいる。しかし彼らも、今のあなたと同じような感情を持って生きていたのに、あなたが当たり前のように享受してきた恵みを受けることができなかったかもしれない。それに、自分が死んだあとの世界で自分の名が残って、本当に何になると言うのだろう。
簡単に言えば、あなたはあなたが生きたいと思うように生きていけばいいということになる。
「何者かになる」という言葉を考えるとき、他人の存在なくしてそれを考えることはできない。つまり、他者視点に陥ってしまっている。
重要なことは、あなたが今何をしたいか、何を欲しているかということである。
あなたが好きなように生きていれば、人生はそれでいい。「何者かになる」などといったことは、他人に気を使っているにすぎないのである。
現代社会の人間たちは他人を気にしすぎている。インターネットによる情報過多もあいまって、他人にとにかく影響されることが多い。そうならざるを得ない環境にいると言ってもいい。
意識的に情報を遮断し、独りでいることの大切さを噛みしめるほうが、現代人にとってはちょうど良いかもしれない。
今考えていることは、自分から生まれてきたのか、それとも他人を考えるから生まれてきたのか。そういった視点が求められている。
]]>もちろん、仕事をしないで生きていける裕福な人もいるでしょう。
普通の人でも仕事をしないで生きていけますが、
生活保護を受けたり、養ってもらったりすることになります。
ここでは、生きていく前提で、かつそのためには仕事をする必要がある人を対象にして書きたいと思います。
仕事にそもそも意義、やりがいを感じない人。
人間関係が良くない・プレッシャーが強すぎる・思うように行かない現状の仕事を辞めたい人。
仕事を思うだけで朝起きるのも辛い・人間関係で悩んでいる・仕事ができないから仕事に行きたくない人。
仕事をしている人の数だけ悩みがあります。
今の仕事が嫌なだけで、他の仕事に魅力を感じる人がなすべきことは簡単です。魅力を感じる仕事への転職活動をがんばればよいだけです。今の仕事が終わったら新しい仕事に向けての勉強に励んだり、休日もそのために費やせばいいでしょう。転職をしたい、余暇も過ごしたいというのもけっこうです。でも、人生の時間には限りがあります。1日24時間の中で時間を割り振り、納得のいくように活動しましょう。
今の仕事をやめると生きていけるか不安だと感じるなら、具体的にどのような状態にあれば不安がなくなるのか考えましょう。たとえば、とりあえず3ヶ月生活費があればよい、などです。その間に転職活動をします。失業手当がある人など、状況は一人ひとり違うので、自分にあった答えを出すしかありません。正解はありません。強いて言えば、あなたが必死に出した答えはすべて正解です。
あまりに仕事について不安・心配なら、あなたが過剰に「自己保存」をしている結果です。自分を大切にしすぎているんです。
仕事に行きたくないと思う人は、怒られるからでしょうか、怒鳴られるからでしょうか。みんなの期待に応えなければとプレッシャーを感じているのでしょうか。
あなたに降り掛かっている問題は、解決可能だと信じましょう。つまり、どうしようもないなら、神様が悪いとでも思っていれば良いですし、任せられた仕事がうまくできなかったなら、任せてきた上司が悪いのです。
人間とは、現象にすぎません。あなたや私は人間の身体という、一種の「借り物」をこの世界で身につけているだけです。あなたも私も100年経たないうちに火葬場で燃え、骨となっています。生きている間は、五感でさまざまなことを感じることができます。脳みそでたくさんのことを考えて、世界を解釈します。そして死にます。必死になって「あなた」を守って、大切にして、本能のなされるがままに生存欲求に屈するのは、精神を持つ人間として悔しいでしょう。思うままに生きていくことが、われわれ人間にはできるのです。
仕事に意義ややりがいを感じない人は、普通です。そう感じる人は鋭い人、世の中のことに対して冷めた見方をしがちな人、世界に距離感を感じる人、といったタイプでしょうか。
簡単な話で、すべての人間はいつかは死に、できたものはいずれ壊れます。医者は病気を治す手助けをしますが、患者の寿命が少し伸びたり、苦痛を和らげる・なくすことしかできません。何年後か何十年後には死ぬ人たちの治療を行います。もし”絶対的な意義”を求めるなら、死ぬ運命にある人間の延命をする医師の仕事は無意味でしょう。
建物を作る人だって、その建物は未来永劫残り続けるわけではありません。食料を生産している人だって、今生きている人たちの胃袋を満たしていますが、どんな食べ物であったとしても人間を永遠に生かすことはできません。
一般的に立場が良い・尊敬されるような仕事でさえ、根本的なところを突き詰めていけば”絶対的な意義”はありません。短い人生の中で「あの仕事は立派だ」「あいつは出世して偉い」などと言って、妄想に翻弄されて生涯を終えるのが大半の人たちです。
現代日本では、ホームレスの人たちもホームレスなりの仕事をしています。路上で乞食をして生きていくことが非常に困難、ほぼ不可能だからです。働かずに収入を得るにはさまざまな手段がありますが、積極的な不労所得という意味では資産運用の配当などがあります。しかし多くの人には関係のない話です。
他に、生活保護や年金などもあります。これらは自分がそのお金を受け取る資格があるかどうかが大事です。生活保護を不正に受給すれば、その不正をした人生を背負うことになります。人生の幸福は心の清らかさ・平安にあるので、間違ったことをしていれば報いを受け、苦しむことになってしまいます。生活保護などは、自分がどうしてもそういう状態になってしまったときに考えればよいのです。
遺産や貯金がない人は、基本的に仕事をして生きていくことになります。
仕事の種類・労働時間・労働環境・向き不向き・給料の多い少ない、などの問題と向き合います。
具体的な問題で悩んでいる人は、解決が簡単です。給料が少ないなら残業をして長時間働くか、給料が高い職への転職を考えねばなりません。
「それが簡単にできるなら苦労しない!」と言うなら、不可能なことを考えて悩んでいるようなので、不思議です。
太陽はなぜ西から昇らないのかと腹を立てているのと同じです。
どうしようもない状況であるならば、ジタバタする必要はありません。やれるところまでやって、やれなくなったら終わる、それだけです。
人生を生きる意味・意義がわからず、それにともなって、生きていくためだけにする仕事に疑問を持つ人はどう考えればよいでしょうか。
よくある話では、「会社と家の往復だけ。仕事は忙しく、家では寝るだけ。好きなことも特になく、休日は寝て過ごしてしまう。こんな人生にいったい何の意味があるのだろう」などです。
人生は楽しいことをするためにあるものではありません。楽しんでもよいですが、楽しまなくてもよいのです。あまりにも楽しいことをしてしまうと、楽しい記憶を引きずってしまい、楽しくないときに苦しみます。降ってくる「楽しさ」を享受するくらいが人生にはちょうどよく、「楽しさ」を追いかけてしまうと、欲望の奴隷になってしまいます。「楽しさ」も、あるいは「苦しさ」も永遠には続かないことを知り、心穏やかに日々を送りましょう。
すべての仕事において、”絶対的な意義”はありません。医者だって弁護士だって農業従事者だって工業従事者だってサービス業の人だって、どんな仕事だって”絶対的な意義”は持ち合わせていません。
かつて釈迦は教えを説いて、弟子たちは仏教としてまとめあげました。仏教は現代の人間の”苦しみ”を取り除けているでしょうか。イエス・キリストは苦悩を救えているでしょうか。
本屋に行けば多くの「お悩み解決本」が存在し、巷には精神科や心療内科も多くあります。
しかし、人間たちの努力をあざ笑うがごとく、現代でも困難に満ち溢れた人が大勢います。
すべての人間がいつか終わりを迎える人生で、仕事をどのように捉えればよいか。
仕事とは、あなたが生きている間に人々とどのように関わり合っていくかです。
あなたの良心に反しない限り、どんな仕事をしてもかまいません。犯罪や悪に関わる仕事、やましく感じてしまう仕事は避けるようにしましょう。そのときはよくても精神をむしばみ、大きな苦しみを生む原因になります。
すべての人間が死ぬ運命にあるこの世界で、仕事の意義を求めることは不可能です。求めることができるのは、”ある”ものだけです。”ない”ものを求めてさまよってはいけません。
生きている限り、あなたはどんな努力をしてもかまいません。間違ったことをしていないと思える努力なら、たとえ誰かが無駄だと思っていても、関係ありません。大いに、あなたの能力を発揮しましょう。
あなたに能力があるかないか、大きな仕事ができるかできないか、出世するかしないか、お金を稼げるか稼げないか。多くの人が気にするこれらのような事柄は、究極的には無意味です。
大切なのは、一人一人の人間が自分の人生において、どのように人と関わり合いながら生きていくかなのです。
人とどのように関わっていけばいいか。なるべく人とは離れて生きていくのか、それとも多くの人と関わって生きていくのか。そういった答えは、あなた自身が導き出すものです。他人に言われたから、人生を生きるのではありません。
間違ったことをすれば報いを受けて苦しみますし、妄想に囚われていては思うように生きられないでしょう。
冷静に物事を見て、正しく行動しさえすれば、あなたが会社員であろうが社長、野球選手、サッカー選手であろうが関係ありません。
あなたがする一つ一つのことがあなたをつくり、この世は無常であるがゆえに大小に関係はありません。あなたが歩道でゴミを一個拾って捨てれば、その歩道にはゴミが一個無くなって綺麗になるでしょう。ゴミを十個拾った人が別にいたとしても、あなたが一個のゴミを拾った尊さがなくなるわけではありません。
あなたと世界との関わり方が、あなたにとってのすべてなのです。
]]>あなたは世界で一人しかいません。生まれも環境も人それぞれ違うので、他人と比較する意味はありません。
たとえば、どんなに野球の才能があっても、野球がない国に生まれて野球を知らなければ、プロの野球選手にはなれません。一方で、大きな才能はなくとも、環境に恵まれて成長する人もいます。
あなたがなりたいと思っているあの人は、なるべくしてそうなる環境に身を置いていたのです。
この世界は、生まれた場所や環境に大きく左右されます。
我々は知らず知らずのうちに、様々なことを経験して、「手持ちのカード」を持っています。逆に言えば、「手持ちのカード」しかないことに、ある時気がつきます。
他人が持っている「カード」を羨んでいても、それはあなたの「手持ちのカード」にはなりません。あなたは今の「手持ちのカード」で勝負するしかないのです。
自分にないものを求めるのではなく、何があるのかを見つけましょう。健康・若さ・お金・時間・過去の経験・能力・感受性・専門知識など、何がありますか?生きている以上、何かは必ず見つかるはずです。どれか一つで十分です。
あなたにあるものを活かしてください。
どんな環境が居心地がいいかというと、自分らしく振る舞える環境です。
素の自分を出したり、自分をわかってくれたりする人たちに囲まれていると、リラックスできます。
身体が強くないのに、肉体労働をすることは大変です。細かいことを考えるのが嫌なのに、デスクワークをするのも厳しいです。
人間は自分の性質に合ったものができると、充実感や幸福感を感じます。
自分の性質に合ったことをなんでもすればいいかというと、そうではありません。犯罪を犯したい欲求に駆られても、負けてはいけません。間違ったことをすれば、辛い報いを受けます。
では、あなたは何をすればいいのでしょうか。どのように生きればいいのでしょうか。自分に合った性質のものはどうやって見つけたらいいのでしょうか。
残念ながら、簡単にそれらが見つかる方法はありません。一生、見つからない人も大勢います。自分がこの世界でどんな風に生きていけばいいのかわからないまま、命を終えます。
でも、いつも自分の心の声に耳を傾けていれば、おのずと何をすれば良いのかわかります。良くないのは、自分の気持ちを無視して、「普通の人はこうしてる」などの常識に左右されることです。あなた自身になることに反する常識があれば、それを乗り越えましょう。
もちろん、どんなに自分の本性に合ったことをしていても、困難や壁にぶち当たります。まったく難しさのない人生など不可能ですし、あったとしても面白くはないでしょう。人生には苦労がつきものだと理解していれば、自分の道を見失うことがありません。どんな道を歩いても困難があるのだから、自分の道で出会える困難ならむしろ温かく迎えることができます。そうして生きていく向こう側には、強くなったあなたがいます。
]]>あなたにはあなたの考えがあるはずです。
「これがやりたい」と思っていることがもしできていないなら、それはなぜですか?
「お金がないから…」
「時間がないから…」
「なんとなく落ち着かない…」
「今からやっても無駄かも…」
「バカだと思われたら嫌だ…」
「普通の人ならこんなことやらないから恥ずかしい…」
そうやって、自分の意志とは別の何かに妨げられているのではないでしょうか。
外の世界にはあなたを妨害しようとするものがたくさんあります。あなたがもし家族のことにしか余暇を使えないなら、いくら大切な家族といえども負担に思うこともあります。
「本当に落ち着くタイミング」は、人生には存在しません。いつもあなたの周りには何か不自由なことがあります。誰でもそうです。
でも、あなたにとって、あなたの心の底から湧いてくる意志以上に大切なものなどあるのでしょうか。
まずは、外の世界には自分の意志を妨げようとするものが多くあることを知りましょう。家族・職場の同僚・友達との付き合いなど、たくさんの雑事があります。
その上で、最も大事なのはあなたの意志であることを認識してください。
人生とは、周りに左右されることなく、いかに自分の意志を貫けるかにかかっています。
あなたという人間は、あなたの行為によって存在が証明されます。人間ですから、不安や悩みを抱えてしまうことがもちろんあります。それらに押しつぶされると、何もできなくなってしまいます。しかし、あなたには他人のために使える能力があります。その能力は発揮されることを待っています。
不安や悩みで時間を費やすことをやめましょう。何も解決しません。寝たり遊んだりしているほうが良いです。
行動・行為によってのみ、道は開かれます。
「この疑問が解決したらあれをしよう」と思っているとします。その疑問が解決しても、新しい疑問が生まれます。疑問が生まれる人は、一生なんらかの疑問を持ちながら生きていくものだと思いましょう。
つまり、疑問を言い訳にしていては、死ぬまで行動できないのです。
吹っ切れなくてもいいんです。悩みながらでもいいんです。
あなたが「これをするべきだな」と思う行動をしてください。
他人と比較して頭がいっぱいになるのは愚かなことです。
「不幸」は、他人との比較によって生まれます。自分一人しかいなければ、境遇を比較する他人がいないので、「不幸」を認識することすらできません。
外界に存在するものは、すべてあなたの「思いなし」によるものです。
「他人よりも優れたい」「他人から尊敬されたい」「あいつは邪魔だ」など、自分の意志外のことにかまけていては、大事な時間を失います。
自分で勝手に「勘違い」をして、自分で自分を苦しめるのはやめましょう。
自分がどうすべきなのか認識してさえいれば、自分以外のことに妨げられる理由はありません。
自信を持って、「こうしたい」と思うことを貫いてください。
]]>他の人たちが普通に享受できている境遇が自分にはなく、絶望を感じているのでしょうか。なりたくてなっているわけでもないのに、いわゆるニート生活を送る人もいます。
人生を諦めようとまで思ってしまったあなたは、多くの辛いことがあったのでしょう。あるいは、辛い思いから目をそらし、逆にもっと辛い目にあっているのかもしれません。
「人生を諦める」という考え自体は、実はかなり昔からさまざま人たちが抱いたものなのです。
人生への諦め、死を意識した昔の賢い人はどんな名言を残しているか見てみます。
誰かが若くして死ぬと、世間の人は「なぜこんなに早く死なねばならなかったんだ」と、不運を嘆きます。現代の日本では100歳まで生きるのも珍しくありません。しかし、事故や自殺、病気などで突然終わるのが人生です。
一方で、他人に迷惑ばかりかけているように思われる老人がいつまでも生きていると思ったことがあるはずです。歳ばかり食っていて、人間的に成長していないお年寄りもいるものです。
若くして死ぬのは嫌。歳をとって死ぬのも「いい」わけではありません。なるべく生きていたいのです。しかし人生において何かをなすべきだとも思っていません。つまり、「生きようともしなければ死のうともしないなんて変な人たち」です。
生きているうちは「もう自分の命なんてどうでもいいや」と考えることが何度かあるかもしれません。ですが、いざ自分の死が見えると、素直に受け入れることは難しいのです。
「人生を諦めた」と思っている人は、実はこの「生きようとも死のうともしない」人間になっています。
生きようとする気力も、死のうとする気力もありません。ただただ人生に絶望して無気力でいます。生きていても辛いことだらけだし、死ぬのは怖い。いっそ爆弾でも落ちてきてひと思いに死ねたら楽でしょうか。
自殺は、自殺したい人たちができるというものではありません。自殺したくてもできない人たちはたくさんいます。
自殺は生きているからこそできる一つの行動です。たとえば、落ちているゴミを拾える人がいる一方で、気づいても拾わない人がいるのと同じです。自殺という行為ができるタイプとできないタイプとに分かれると言えます。
どちらのタイプも、この人生から消えてしまいたいと思っている点で同じです。経験してきたことは違っても、同じような苦しみを抱えています。生きながら死んでしまい、結果として人生を諦めてしまう人たちは多いのです。
無気力でいても、やる気満々でいても、あなたはそのうち死んでしまいます。死ぬと肉体が取り残されます。生きているうちは水を飲みご飯を食べて生きていますが、死んでしまえばそんなこともできません。
あなたはまさに「死体を持ち運んでいる小さい魂」と言えます。
今は身体を自分の意思で動かすことができます。死むと動かすことはできないのに、驚くべき事実だと思いませんか。
生きているからこそ、動いたり考えたりできるのです。生きていないと生きていることに悩めません。不思議なものですね。
順風満帆に生きてきたように見える人たちも、思い通りに人生を歩んでこれたわけではありません。あなたと同じように、多くの困難に出会っています。
物事は自分が希望している通りに起こるものではありません。なるようになっていきます。なるようにしかならないと言ってもよいかもしれません。
どんなに対策・準備していても苦労するのが人生です。人生に対して余裕を持って接するには、未来の出来事がそのまま起こるように起きたらよいと思えることが大切です。
これから先、あなたの人生への諦めがどのように変化していくかはわかりません。ですが、起こるべくして起こることが必ずあります。それに対して「起こるように起きてくれたらいいや」とゆったりしていましょう。
思い通りの出来事だけを起こそうとするのはやめましょう。うまくいくこともあるかもしれませんが、うまくいかない場合のほうが多いのです。うまくいくはずだと思っているのにうまくいかないことが、無力感につながります。もともと人生なんてままならないことのほうが多いのに、自分に都合よく周りが動くことを期待していては、裏切られて当然です。
起きてくるすべての出来事はきっとあなたに対処できるものだと自信を持ちましょう。人生には積極性ばかりが注目されがちですが、不運に対する受け身が上手い人は人生の達人になれます。
人は裸で生まれ、死んでも持っていけるものはありません。
あなたが「持っている」と思っているものは、生きている間の「借り物」です。ありとあらゆるものがそうなのです。
家族、友人、仕事、趣味、家、気に入ってるもの、すべて当たり前のように存在しています。しかし、どれもいつかはあなたのもとを去ります。自分の身体・命でさえ思い通りにいきません。
人生への諦めを感じているあなたは、多くのものを失ったと感じているかもしれません。
たとえば、お金を持つどころか借金だらけで、仕事をしてもお金がたまらない。借金を知らなかったあの頃に帰りたい。
借金でなくても、何かを「抱えている」ことに苦しんでいるでしょう。その「抱えている」という感覚もまた、幻想なのです。たしかに「抱えている」ものがあると思っているかもしれません。でも、それについて苦しむかどうかはあなた次第です。だれもあなたに苦しめなんて思っていないし、思っている人がいるならその人はあなたより恐ろしく不幸です。
あなたの人生では、必要な時に必要なものが手に入ります。時期が来れば手放さなければなりません。いつまでも自分のものなんてないことを悟り、今てもとにあると感じているものを大切にしましょう。
旅人は旅宿で休みますが、旅宿は旅人の家ではありません。たとえばあなたがホテルの部屋に泊まるとき、その部屋の模様替えをしたり新しい家具を入れたりすることはありません。同様にして、あなたの人生に与えられたものを、まるで他人のものかのように扱いましょう。すると、執着がなくなり自由な気持ちでいられます。
「どうせ死ぬ」と考えることは、人生に無力感を引き起こすこともあります。一方で、無理に欲望することが少なくなります。
たとえば、世界中のお金を集めたとしても、人生はそのうち終わるのです。だからといって、どうせ終わるのだからお金が無意味かというと、そうではありません。生きている間、自分が有意義だなと感じたものにお金を使い、死ぬだけです。
他にも、「どうせクビになってもいいや」という姿勢で仕事をするなら、かなりリラックスして仕事ができます。これはサボってもいいというより、無理に気合いを入れなくて済むということです。気合いを入れても入れなくても、あなたはあなたです。無茶をしても限界がきます。「クビになったらまた新しい仕事探せばいいや。もし次の仕事に就けず食べていけないなら、それは神様にもういいんだって言われてるのかな」などと気楽に考えればよいのです。
人生は、求めたものが何もかも手に入るようにはできていません。「過去に戻りたい」と思っても、一生実現することはないでしょう。
「最悪」を想定することで、尽きぬ欲望を制御できます。人生を生きるコツは、欲望と上手く折り合いをつけることです。攻める時と守る時との切り替えに、「死」の存在はとても役立ちます。
生きていないと死ぬことはできません。
「死」を思えること、人生は「死」すら活かせること、不思議だと思いませんか?
あなたには、今のあなたにふさわしい仕事があります。当然、チャレンジすることを否定しているわけではありません。妥当だと思えるチャレンジをしていくのは良いことです。
でも、たとえばアインシュタインが大リーガーになろうと40歳から野球を始めたとしても、きっとなれなかったでしょう。アインシュタインにはアインシュタインの仕事がありました。
あなたにも何かしらの能力があります。能力の優劣は、人生を送るのにあまり重要ではありません。もしあなたが1時間でゴミを10個拾えるとして、一方ゴミ拾いの達人は20個拾えるとします。あなたがゴミを10個拾ったことは無駄でしょうか?そんなことはありませんね。
あなたが他人と比較してしまい、無力に感じて能力を発揮できなければ、もったいないことです。世の中には多くの会社があります。でも、世界で一番大きな会社があるからといって小さな会社が無意味ということはありません。それと同じで、あなたはあなたという人生の主人です。あなたなりにできることをやってみましょう。
人生を諦めて無気力になると、生きている意味を見失います。その時に、いざ死ぬわけにもいかず、本当にわずかな欲望だけが残ります。ご飯を食べよう、水を飲もう、動画を見よう、ヤフーニュースでも見よう、掲示板に書き込もう、などです。生きている以上、何もしないということは不可能です。
以前は楽しいと思っていたことが楽しくなくなったり、好きなものを見つけられなかったりします。それはそれでいいのです。
さまざまなことに意欲がなくなったまま死んだとします。意欲がないまま死んだ人間だということにすぎません。そういう人は過去に数えきれないほどいます。せっかく「自分だけの苦しみ」を享受している最中なのに、特別な人間でないことが悲しいでしょうか。残念ながらあなたの苦しみは、今までの人類の苦しみでもあったのです。
人生を諦めた人に効く特効薬はありません。気慰みの言葉も、世の中のいかなる薬も、根本的な解決にはならないでしょう。ではこのまま死ぬのか、悔しい、なんだかやりきれない。そんな最後の防波堤があなたにあるなら、それはあなたの本物の魂と言えます。
自分の心の奥底から湧き出るものに耳を傾け、ほんの小さな一歩を踏み出してみたっていいのです。あなたのリベンジを、未来で待っている人たちがきっといますよ。
ちょっと待ってください。
LINEのブロックはいつでもできます。でも、ブロックしてしまうと相手からのメッセージは既読にできませんし、そもそもメッセージも確認できません。
相手からのメッセージを見たくない気持ちはわかります。仲が良くても相手にうんざりすることがあります。
しかし、ブロックするというのは相手との関係を断つことです。いろんな巡り合わせでLINEをするようになった相手です。あなたはその人をブロックしようか悩んでいます。
悩んでいる今、ブロックする前に考えてみて欲しい4つのことを伝えます。人間関係をリセットしたくなる癖のある人にも読んでもらいたいです。
自分はもちろん大切な人間です。でも、向こうも人間です。産んだ親、兄弟姉妹、友達などがいます。相手には相手の人生があって、悩みや辛さがあります。
なんらかの縁があり、現在あなたと相手はつながっています。それはこの地球上の人口を考えればすごいことです。
無理に好きになったり、好かれようとしたりする必要はありません。
ですが、向こうも幸せになったらいいなと願ってみてください。あなただけでなく、みんな例外なく一生懸命生きています。
「自分と関わってくれた人たち、全員幸せになったらいいな!」と祈ってみましょう。
今までやりとりをしていたのにLINEをブロックされたら、だいたい向こうは気づきます。日を置いてメッセージを送っても既読にならないわけですから。
あなたがブロックしたとわかった時、相手の気持ちを想像してみてください。相手はどんな風に思うでしょう、寂しくなるのではないでしょうか。
「ブロックする前に気持ちを言って欲しかった」と思われているかもしれません。
LINEをブロックしようと思う原因は、基本的にコミュニケーション不足が多いです。コミュニケーションをとっているのに、自分の気持ちを伝えることが下手なのです。うわっつらや、自分を隠して会話したり、察して欲しいと思いすぎて気持ちを伝えられません。臆病なので自分の気持ちを素直に表現する度胸もありません。
コミュニケーションは、会話することだけが大切なのではありません。
・自分がどんな気持ちなのか
・自分は何を考えているのか
・自分の主張は何か
を他人に伝えられることがコミュニケーションです。
当然相手は他人ですので、あなたと全く同じように感じたり考えたりできるはずがありません。あなたが伝えない限り、相手はわからないのが普通です。
LINEをブロックする前に、ブロックされた後の相手の気持ちを考えます。
そしてあなたは本当にあなたの気持ちを伝えられたか、振り返ってみてください。
他人の気持ちを自由に操ったり、自分が望むことを他人に言わせたりするようなことはできません。
あなたは相手に期待しすぎていませんか?
「普通はこうするべきだ」
「なんであれをしてくれないの」
「あんなことするなんてありえない」
など、他人は自分とは違う人間にも関わらず、あなたの価値観を押し付けていませんか?
あなたの気持ちや望みを相手に伝えることは大切です。それもせずに、「察して欲しい」「感じて欲しい」と願うのは、都合がよすぎます。何も言わなくても・しなくても相手が自分の思い通りになると思ったら大間違いです。相手は相手で気持ちや考えがあり、それはあなたが直接操作できるものではありません。
もし、すべてがあなたの思い通りになる世の中だとしましょう。そんな世界に生きていて楽しいですか?思い通りにならないこともあるけど、思い通りになることもあるから喜ぶのです。
あなたが相手に伝えるべきことを伝えたなら、あとの反応は相手に任せましょう。あなたに必要なのは、考えや思いや感情をきちんと伝えることだけなのです。
他人はそもそも自分に都合良く生きているのではない、と意識しましょう。そうすれば、関係が上手くいかなかったとしても、LINEをブロックしようとまでは思いません。他人は自分のためだけに生まれ存在しているわけではないのですから。
自分は自分、他人は他人。
境界線を持ちましょう。
この記事では、頭痛がするほどのストレスをいかに少なくしていくかに焦点を当てます。
ストレスがたまるのは、もちろん環境のせいもあります。ストレスフルな場所が世の中にはあるものです。しかし、あなたの考え方しだいでストレスは激減します。
ストレスがたまらない考え方を身につけましょう。そうすれば仕事であろうとプライベートであろうと無敵になれます。
サンマーク出版、さとうみつろう著『悪魔とのおしゃべり』より引用させてもらい、参考にしております。
「正しさ」のせいで貴様ら人間は苦しんでいる
人間は「正しさ」以外の方法で、苦しむことなどできない
「正しさ」を抱えすぎた貴様らは、今では何もできやしない。文字通り、身動き1つ取れない。道も歩けない。息も吸えない。「やりたい」こともやれない。それどころか、自分が何を「やりたい」かを言うことすらできない
あなたはなぜ自分が今ストレスを抱えているのか理解していますか?人によって過去も現在の状況も違うので、人それぞれストレスの原因が違うと思っているかもしれません。
しかし、頭痛がするほどストレスを抱えている方には共通点があります。みんな自分が思っている「正しさ」で苦しんでいるのです。
たとえば
・職場の人たちと仲良くやるのが正しい
・いじめがないのが正しい
・仕事にやる気がある自分が正しい
・かっこいい・かわいい私が正しい
・人から尊敬される自分が正しい
そんな風に、自分の頭の中で「これが正しい」と思っています。
ですが、現実はあなたの「正しさ」と矛盾しています。だからストレスに苦しむのです。
世界には絶対的な「正しさ」はありません。あなたの中にしか「正しさ」はないのです。もちろん、一般常識や法律のような「正しさ」はあります。それは、「多くのの人たちが「正しい」と思っているのかな」程度の「正しさ」です。
あなたがそれらを「正しさ」とするのかは自由です。
いずれにしても、「こうあるべき」と思うことと現在がずれているから苦しみます。
自分を責めるヒマがあったら、『正しさ』を疑え!
抱え込んだ「正しさ」が、実はその人の未来の可能性を奪っている
今の貴様らに必要なのは、もはや「悪」だけだ
過去を振り返って、「なんでこんなことをしてしまったんだ!バカな自分」などと責める必要はありません。
たとえば仕事のミスなら、誰でも仕事のミスはします。何度も同じ間違いを繰り返すことも、人類の歴史上いったいどれだけの人間がそうしてきたと思っているんですか。
誰かを傷つけたからといって、みんな誰かを傷つけたり誰かに傷つけられたりするんです。あなただけが特別ダメなのではありません。
「こうするべき・ああであるべき・これはダメ」などの「正しさ」があなたを縛りつけています。たとえば「新しいことをはじめたいけど、歳をとってるから諦める」とします。「歳をとったら新しいことには向かない」なんていうよくわからない「正しさ」のために一歩を踏み出せない。そんな「正しさ」は必要ないと思いませんか。
人間はいつだってどんなことだっていつからだって挑戦していいんです。バカにされる・理解されない・失敗する・みじめになることがあるかもしれません。しかし、それがなんだというのですか。
あなたが持つ「正しさ」を疑ってみてください。いかに「正しさ」に縛られているかわかります。それらを「正しい」ままにしておいていいのか、疑ってみてください。
世界中、クズしかいないと思っている
自分にすら期待してはいけない
過去の自分を、勝手に盛るな!あなたは今日と変わらず、過去でもどうしようもない人間だった
世界中には、醜い感情にまみれながら欠点をさらけ出して生きている人たちばかりです。自分たちのことは棚に上げて、まるで立派なことをやっているかのように装っています。
残念ながら、あなたもそんな人間たちの一員です。どうしようもない欠点がたくさんあります。なので、自分にも過度な期待をしなくてかまいません。
あの頃はよかったと、過去が輝いてみえることがあるかもしれません。毎日が冒険だった子ども時代、友達との触れ合いが楽しかった学生時代、お金はなくとも夢と希望があった青年時代など。
しかしそれらは今のあなたが作り出している妄想です。その頃にはその頃なりの苦労があったはずです。すっぽり抜け落ちています。また、そんな「素晴らしい」時代を経て成長したのが今のあなたです。
本当に昔のあなたが素晴らしかったなら、なぜ今のあなたは素晴らしくないのでしょうか?ストレスに悩んでいるのでしょうか?
以前の自分が優れていたことなんてなかったのです。そして昔も今も「あなた」のままです。
過去を美化するのをやめましょう。
全ての怒りは相手のせいじゃなく、相手に期待した自分のせい
「誰にも」「何にも」期待していない人間は、怒ることが絶対にできない
さきほど言ったように、世の中は「どうしようもない」人たちで構成されています。なので、本当は期待する意味なんてないのです。
これはすごく冷たく聞こえるかもしれませんが、どんなに大切な人でも人間は人間です。不完全です。
怒りの感情は、期待が裏切られた時にしか発生しません。これは、たとえば仕事で注意をしたり子どもを叱ったりするのとは違います。必要だからすることと、怒ることは別物です。
この世界に怒るほどのことがないという真実、むしろ寂しいですか?
世界は、どうしようもない奴らの集まりだ。あなたと何1つ変わらない、実にくだらない人間どもが、向こう三軒両隣り、さらにその先までひしめき合っているのが、この世界の実相だ
このあまりにもどうしようもない星に。なんだか、笑いが込み上げてこないか?イーッヒッヒッヒ
人間は誰しも悩み苦しみ、くだらない間違いを繰り返し犯します。あなたがもし違う星の民族だとして、地球の人間たちを見たらどう思うでしょうか。
人を助けることも、憎むことも、恨むことも、愛することもする人間たち。通勤電車では圧迫死されそうになりながら、どうせ死ぬのにストレスを抱えながら働きに行きます。本来自分のものでもないものを自分のものだと思い込み、挙げ句の果てには死んだ後にもそれを守ろうとします。
どうしようもないですが、すごく興味深いと思うのではないでしょうか。
あなたがストレスを感じるなら、この世界に対して一生懸命すぎるのです。もっとくだらないのです。真剣にやることもあるけど、それがまた面白いのです。あなたに必要なのは、くだらない人間世界への達観と、楽しめるものは楽しんでしまうユーモアです。
「生きる」ということは、誰かへ迷惑をかけることだ
貴様ら人間は、「自分は悪いことをしていない」と言い張っているが、少し違う。「自分が悪いことをしている」と気づいていないだけだ。どんな善い行いも、同じ量の悪さを含んでいるのが当然さ
それなのに、目に見える「善い」部分だけをひけらかす[善人]というのがこの街には溢れている
迷惑をかけずに生きてきた人はいません。生まれたばかりの時には親など大人の世話にならなければなりません。
自分は知らないうちに誰かに迷惑をかけていることを認識しましょう。なるべく迷惑をかけないように心がけることは良いことだと思いますが、やむを得ない時はお互い様です。もしあなたが急に胸が苦しくなって、誰かに救急車を呼んでもらうとします。「いや、迷惑だから…」なんて言っていたら命に関わります。
迷惑をかけることもあるから、身近な人には小まめにお礼を言っておきましょう。
迷惑をかけられても助けてあげる、あるいは許してあげてください。
本当に自分のことしか考えないタイプの迷惑な人もいますね。老人、中年、若者など、それぞれの世代にどうしようもない人たちがいます。そんな人たちに腹が立っても仕方ありません。ダメな人はずっとダメなままで、「これをしたら他人に明らかに迷惑をかけるな」と思える想像力もありません。そのような想像力がないので、かわいそうな人たちなのです。自分のことしか考えないから他者を助けられません。自分も助けてもらえないので、いっそう自分のことしか考えられません。悪循環です。憎しみに囚われた人たちに同情し、許してあげましょう。
「正しさ」にとらわれなくなると、どんなことでも楽しくなります。「正しさ」は自分が苦しむために持つものではありません。
たとえば、猛暑が続く夏なのに、学校にクーラー
がつかないとします。以前とは明らかに違う夏の暑さです。なのに、クーラーを導入できない学校があります。経費がかかるし、そもそも今までなくてもやってこれたんだから大丈夫ではないかと。熱中症は命の危険もあり対策が必要ですが、大人の考えで導入できていないわけです。
これを「なんて大人たちなんだ!子どものことを何だと思ってるんだ!」と感情的になるのは良くないことです。
必要なものをすぐに取り入れようとするほど人間は柔軟な生き物ではありません。人類の歴史では、進もうとする者に対して進むまいとする者が常にいます。そうやって人間は生きてきたのです。
クーラーのない学校に通う子どもがあなたにいるなら、学校などしかるべきところに必要な主張をするべきでしょう。しかし自分にまったく関係ないのに「そんなひどい話はない!」と怒っているなら、その人はどれだけ暇なのでしょうか。
俗世間には、自分に関係がないのに人様のことで感情を乱す人が大勢います。立派でもない人が、たまたま過ちを犯した立派な人を責め立ててもてあそびます。「立派な人はそもそもそんな過ちなんてしない!」と思うのはあまりにも人間として未熟です。どんな人間でも過ちを犯し、程度にもよりますが、それが犯罪となるかは紙一重なのです。犯罪は時代によっても変わる気まぐれな性質を持ちます。
「白か黒か」で人間や物事を判断するのはやめましょう。さまざまな色が溶け合った「カラー」で世の中を見ましょう。すると、あなたは一つ成熟します。こうでなければならないという「白か黒か」の思い込みから離れ、いつの間にかストレスがなくなっています。
「どこかが悪い」と思い続けた女性の「勘違い」以外は、何も悪い所などなかった
現状を疑い続ける姿勢こそが、現状を悪くしていた
とにかく、世界には「正しい」勢力がはびこっている。彼らは、「もっと、良くなれる!」と言う。その全てが「今は良くない」と言ってるわけだ。「現状」をもう否定しているのさ
幸せを探している人が、一番「幸せじゃない」
「お金があればもっと楽しく暮らせるのに」
「顔さえ美形で産まれてくればモテモテだったのに」
「この人とさえ結婚しなければもっといい人と結婚していたのに」
現状を肯定できず、ありもしない空想を正しい状態だと思っていませんか。「自分はこんなはずではない」と、頭の中の「正しい」自分を作り出します。ですが当然、頭の中の自分と今の自分は食い違います。
今のあなたは、ベストを尽くしてきた結果です。もっとできたはずの過去なんてなかったのです。
頑張れなかった
決断できなかった
勇気がなかった
つまらないミスをした
ドジを踏んだ
これらがあって普通なのです。人間ですから。
だから、過去を悔やんだり、未来に都合の良すぎる空想に浸るのはやめましょう。
あなたがやりたいことを好きなようにやればいいのです。「正しさ」に左右されることなく、軽快に、笑いながら生きましょう。
「能力」には、「行使する者」と、「行使される者」が必要なんだから。人は、1人では優しくなれない
「優しさ」という能力は、「優しくされる人」と「優しくする人」がいて初めて行使できる。全ての「能力」が、そうだ。歌唱力も、腕力も、背の高さも、器用な手先も。1人では、その能力が行使できない。要するに人間の「能力とはすべてが、他人のためにあるのさ
私が持たされている他の人よりも優れた「能力」とは、世界のために使うモノだ
「わたし」とは「だれか」のためにある道具
あなたにある「能力」はすべて誰かのためにあります。自分のための「能力」もあります。食べたり飲んだり息をしたりすることなどです。この能力がなければ、自分で自分を生かすことはできません。
一般的に考えられる「能力」とは面白いことに、他人がいなければ成立しません。世界に人間が一人しかいないのに足の速さは競えません。他人がいてこそ自分の足の速さがわかります。
あなたの「能力」が人より優れているかどうかは重要ではありません。あなたに「能力」があることそのものが大切なのです。なぜならあなたは人間である以上、何かしらの「能力」があるはずだからです。
たとえ不自由を抱えていて社会貢献が難しくても、家族の生きる支えとなる「能力」があるかもしれません。
あなたは自分の「能力」を他者との比較においてだけ見ていることはないですか?たしかにあなたはサッカーが少しできたとしても国の代表選手にはなれないかもしれません。でも、近隣のアマチュアサッカーチームに入ってプレーすることはできます。サッカーが好きな人たちと共にプレーすることそのものが、他人への貢献と言えるのではないでしょうか。
もしあなたが「能力」に劣等感を感じて「能力」を発揮するのを躊躇するなら、本当に残念なことです。「能力」を優劣だけで判断してはいけません。「能力」の意義は、その発揮によって他者に貢献してこそ生まれるのです。あなたの「能力」が高いか低いかはどうでもよいということです。
高い低いという比較を超えた「能力」。あなたにもあります。あなたの「能力」が発揮されることを待っていますよ。
自分も、他者も肯定しましょう。同じ人間です。辛いことも悲しいことも、楽しいことも愉快なこともあります。すべての人間が死に、時代は変わっていきます。また新しい人間たちが、同じようにいろんなことを思いながら生きます。あなたもそんなつながりの中にいます。
ストレスを抱えてしんどいことも、そのうち終わります。終わらないものはないのです。ストレスさえも愛してみてください。「ああ、こうしてはるか昔から人間はストレスに耐えてきたんだな」と。ストレスを感じることは、あなたが人間である証とも言えます。そしてストレスは克服することができます。
すべての「正しさ」を乗り越え、あらゆるものを愛してみてください。あなたの「能力」を発揮し、好きなように生きてみてください。
]]>あなたが仕事の人間関係で辛い思いをしているのなら、放っておいてよいものではありません。辛い気持ちを我慢してきたのかもしれませんが、そんな気持ちが少しでもやわらぐようにと思いこの記事を書きました。
草薙龍瞬著『反応しない練習』(KADOKAWA)より言葉を引用させてもらっています。
人はなぜ、悩み、執着を手放せないのか。なぜ日頃、さまざまな問題を抱えてしまうのか。そうした悩ましい現実を作り出しているのは、”心の反応”である
大切なのは、「心とは、そもそもそういうものだ」と理解しておくことです。心とは求めつづけるもの。それゆえに渇きつづけるもの
「そんな夢のない理解なんて、つまらない」と感じる人もいるかもしれません。ただ、「心は求めつづけるもの」と理解すると、不思議な心境の変化が訪れることがあります
朝起きてあまりにも眠い。仕事へ行きたくない。職場の嫌なやつと会うと思うだけで、ストレスを感じる。最近イライラばかりしている。精神的に消耗しすぎて、休みの日にも寝るばかりしてしまう。
これらはすべて、あなたの心の反応の結果です。たとえば同じ時間の通勤電車でも、仕事に行くのと旅行に行くのとでは気持ちが違います。電車に乗っている状態は同じなのに、心次第で感じ方は変わります。
人間の心はその時の状況によって、あっちへ行ったりこっちへ行ったりします。休みの日であれば好きなだけ寝られるのに、出勤の日は朝起きて仕事に行かなければなりません。「本当に休みたい。休みだったらいいのに。いっそ休もうか」と、どうにもならない現実を嘆きます。「寝ていたい」「好きなことをしたい」と願う心があなたを苦しめています。
心はいつも何かを求め続けています。朝何度でも何時間でも寝ていられる状態や、職場でストレスのない人間関係など、理想を追いかけます。もし解決したとしても、求め続けることに翻弄されている人は、別の苦しみに直面します。
人間はいつだって苦しいし、悩むし、嘆きます。生きていくことはそのようなものなんだなと理解すると、人間として大きな成長を遂げたと言えます。
「他人の小さなことが目について、不満を感じてしまう」という悩みの正体は、「もっと自分を認めてほしい!」という承認欲だったりするのです
承認欲という、それまでの「心の渇きの正体」がわかるだけで、その不満状態から抜けてしまうのです
承認欲という「反応の原因」がわかれば、ずいぶんラクになります。「でも、あの人(家族・世間)に認められたところで、それが一体なんなのだ?」と超クールに考えられるようになります(ほんとに、それが一体何だというのでしょう)
正しい理解こそが、人生の苦悩を解く一番強力な”智慧”なのです
同僚からどうでもよいと思われていたり、上司から使えないやつだと判断されていたりすると、苦痛を感じます。せっかく仕事をして家に帰っても、家族が冷たければ傷つきます。
これらは「あの人に認めてもらいたい」という承認欲から生まれています。あなたが他人とのことで悩んだり不満だったりするときは、承認欲が大きく関係しています。
現実では、他の人のことを完全に気にしないことは不可能です。しかし、周りの人にあなたがストレスを感じるとき、期待や承認欲が原因になっていると知りましょう。
つまり、人に認められるためではなく、自分の満足のためだけになすべきことをなしましょう。
「承認欲」を満たしたいなら、そのための「正しい努力」をしましょう。三つの条件があります。
①認められたい気持ちをモチベーションにして、今の仕事・生活を「改善」していく
②どんなときも「自分のモノゴトに集中」する」
③「自分で納得できる」ことを指針(基準)とする
承認欲は確かに苦しみを産みます。でも、承認欲がどうしても生まれてしまう人は、いっそ有効活用してみましょう。承認欲にとらわれなければいいのであって、自分に湧き上がる自然なものを否定する必要はありません。
「あの人に認められたい自分がいるな。よし、自分にできる仕事の下準備を一生懸命してみよう。たとえ認められなかったとしても、仕事の下準備をして損になることはない!」
こんな風に承認欲を仕事の改善につなげたらよいのです。必ずしも認められるわけではないことに注意してください。ですが、きっと清々しい気持ちになります。
「心の状態を見る」とはどういうことか。ここではその方法を三つ紹介します。
①言葉で確認する。
②感覚を意識する。
③分類する
あなたの感情はあなたが一番理解できます。イライラしていたりストレスがたまっていると感じたりしたら、言葉で確認してみましょう。
「あ、今はイライラしているな」
「朝起きたことにはいいが、会社に行きたくない。ベッドから出たくない。そう思っているな。」
「職場の〇〇に会うのが憂鬱だ。嫌だ。会いたくない。あいつに会うのがこんなにストレスなんだな」
口に出せる場所なら口に出してみましょう。朝、気持ちの整理をするために感情を紙に書き出してもよいです。あるいは仕事が終わった夜に、感じたことを書き出してすぐに捨ててもいいでしょう。
日常生活において、自分の感覚を意識してみます。
深呼吸して呼吸に集中する。
歩きながら足の運びや足の裏の感覚を感じる(歩きながら右足・左足と意識する)
鼻がかゆいときに、「あ、鼻が今かゆいな」、手でかくときも「鼻をかいている」と認識する
これらは一例です。なんとなく行動するのではなく、はっきりと意識して行ってみてください。最初は難しいかもしれません。次第に現在のことに集中できるようになります。
たとえば、通勤電車でも「ああ、これから仕事だな。しかも今日は月曜日。だるすぎる。はーーーあーーー」と思ってしまうのは、そのとき電車に乗っているという状態に集中できていないからです。「電車が動いている。自分は立っている。電車の音がする。隣の人がスマホをいじっている。」事実だけを観察してみてください。「だるいなあ」と思っているのは、そのときの状況に対するあなたの解釈です。妄想の一種で、自分で自分の首を絞めているだけです。
感覚を意識することで、怒りやイライラ、憂鬱などに左右されにくくなります。
あなたのストレスの原因は何種類ありますか?
・職場の上司・同僚・部下
・仕事内容(仕事がわからない。体力的にきつい。プレッシャーが大きい)
・家庭が上手くいっていない
ストレスの原因を把握できていなければ、何と闘っているのかわかりません。大事なのは、何が自分を苦しめていて、どうすれば解決するのかを知ることです。
ストレスの原因と感情を分類してみましょう。分類して理解することで、なんとなく苦しんでいたものが、具体的な対象になります。
人間の心には、例外なく、判断しすぎる心がある
「自分も、他人も判断しない」ことが一番
しなくていい判断は、しないほうがいい
あなたはいつも判断ばかりしていませんか?
「あいつは嫌いだ」
「なんで俺はこんなにダメなんだ」
その判断は、役に立っていますか?
いろいろなことを判断してわかったつもりになることは、あなたを苦しめます。
たとえば仕事なら、「利益が上がる」「働きやすい環境につながる」「業務が円滑に進む」ような判断が正しいことになります。大事なのは「役に立つか」という視点です
「あの人は苦手、嫌い」「自分はダメな人間」といった思いがよぎったときは、「あ、判断した」と気づいてください
「人は人。自分は自分」という明確な境界線を引くのです
苦手な上司・嫌味な同僚・どうしようもない部下など、会いたくなくても会わなくてはいけない人間たちがいます。
おそらくあなたは仕事だからと割り切ろうとしています。でも、感情を抑えきれていないかもしれません。
こういう場合、判断しすぎない心が大事です。
たとえば仕事なら、給料を持って帰ることが重要です。そのための人間関係です。めんどくさい人がいるのはわかります。しかし、嫌な気持ちでいても利益にはなりません。あなたがストレスを抱えたところで、嫌なあいつは痛くもかゆくもありません。なので、得にもならない考え方や感情を持ってはいけません。すべての感情を感じる必要はないのです。
あなたは大人です。感じたいことを選んで生きればいいのです。そのためには、嫌だとか辛い、しんどいなどの判断もしなくてかまいません。
わたしはわたしを肯定する。そして、今できることをやっていこう、と考えましょう
本当は、今この瞬間に、なんの判断も必要ないのです。ただ「やってみる」だけ。そうやって「体験を積む」だけでよいのです
究極のところ、あなたはあなたにできることをやっていけばよいのです。仕事で困難なこと、嫌なことがあっても、やれることをやりましょう。
すべてが思い通りにはなりません。他の人たちもそうなのです。だからやるべきことをやったなら、あとは成り行きに任せれば十分です。
「できるか不安だな」「やってみても意味ないかな」など、判断をしすぎて自分の幅を狭めないようにしましょう。
とりあえずやってみればいいだけです。人生の体験を大切にしてください。もし失敗しても「失敗したから意味がなかった!」と、判断に踊らされてはいけません。「またやってみーようっと!」と心軽く生きけばいいのです。
たとえば仕事で嫌な人がいたとします。嫌なことを言われることがあるから嫌なのか。恐い雰囲気の人でどう接したらいいのかわからないから嫌なのか。これらは種類が違います。
前者は実際に何か嫌なことを言われていて、感情を害しています。しかし後者は、相手と上手くコミュニケーションがとれていないがゆえに起こる不安です。
相手のことをよく知らないのに、「判断」することで苦手意識を持ってはいけません。相手と話すのが無理であれば、仲が良い人や周りの人にその人のことを聞いてみましょう。
相手のことをよく知ってても知らなくても、他人の気持ちをコントロールすることはできません。気に入られようと振る舞ったとして、気に入られるかどうかは相手しだいです。相手の気持ちは相手のことなので、あなたは自分がやるべきことに集中しましょう。
人生ではどうにも分かり合えない人間と出会うものです。コミュニケーションをとって、なるべく良い関係を築けるようにと苦労したでしょう。
しかし、どうにもならなければ距離を置くのもありです。あえて心をいじめる必要なんてないのですから。
確かめようのないことをどこまで追いかけるかは、あなた次第です。
ただ大切なのは、自分自身の人生の「目的」を、はっきりさせることです
仕事が終わったのに、いつまでも仕事中にあったことを考えていませんか?
「あいつにあんなこと言われた」
「理不尽に怒られて腹が立つ」
「相変わらず余計なことばっかりしてるやつだ」
などとプライベートな時間でも考えているとしたら、身が持ちません。
考えてしまう気持ちはわかりますが、やはりそれはあなたの責任です。心のなすがままに翻弄されていては、憎しみに取り憑かれてしまいます。
嫌だった思い出を振り返って、心を反応させることはやめましょう。無意味です。そしてあれこれ考えたところで、想像の産物を確かめる方法はありません。
腹が立つ妄想に時間を使うよりも、今の生活を充実させましょう。
あなたはどんな人生を送りたいのですか?他人を妄想して一生を終えたいのですか?
あなたの人生が素晴らしくなることだけが重要なはずです。
どうすれば素晴らしくなるか、心の奥底でわかっているでしょう。勇気を持って自分が納得できる一歩を踏み出してみてください。
失恋で立ち直れない時、何もかもが色あせて見えることがあります。好きな相手がいたからこそ、毎日に張り合いがあったのです。付き合っていた期間が長ければ長いほど、自分の生活に相手がいることが当然になります。
失恋をすると、心の中で今まで「あの人」がいた場所に、「あの人」がいなくなります。たとえば職場恋愛だった人の場合、別れても同じ空間にいることがあります。しかし、物理的には変わらなくても心が変わっているから辛く感じます。
失恋の後は、心も生活も変わります。心の辛さと現実生活との適応が大切になります。
立ち直ることなんて考えられないかもしれません。あるいは、なんとか立ち直りたいけど悲しすぎてどうしようもなくなっているかもしれません。
いずれにしても、失恋をした後どのような気持ちで暮らしていけばいいかを紹介します。
あなたと相手は出会い、ある時はおしゃべりし、ある時は一緒に出かけたでしょう。あなたは相手のことを一生懸命好きになりました。でもその結果は失恋でした。
生きていれば、誰でも失恋を経験します。あなただけが感じる感情ではありません。
「あの時ああすればよかった」「あれは言うべきじゃなかった」「なんでもっと一緒にいられなかったんだ」など、後悔があるかもしれません。しかし、なるようにしてなったのが今です。
相手のあなたにおける役割は終わったのです。人と離れるというのは定めです。たとえ好きどうしでいたとしても、いつかは別れます。だからあなたが失恋したのもまた、どうにもならない運命だったと言えます。
まずは、失恋したことを受け入れましょう。悲しい気持ち、寂しい気持ちを全身で感じてください。失恋したからこそ感じる気持ちは、失恋しなければわからない貴重なものです。あなたがこんなに悲しいのは、あんなに楽しかった日々があったからなのです。
親しい友達に失恋したことを話すことも良いことです。人に話すことで事実が客観的になるからです。自分には見えてなかった面に気づくかもしれません。
失恋して悲しい時、楽しかった日々を思い出して元どおりの関係に戻りたいと願う人がいます。なんとかまた恋人に戻りたい、そのためにはどうすればいいか考えるでしょう。
いわゆる復縁ですね。復縁するためには気をつけるべきことがあります。復縁とは元どおりになることではなく、新しい関係を築くということです。過ぎ去ったものは二度と戻らないので、過去を振り返る復縁は失敗します。もちろん反省することはあるでしょうが、すべて直したから解決するわけでもありません。復縁を目指す目指さないには関係なく、別れた事実を受け止めることが大切です。
大人だって、悲しかったら泣いていいんです。たくさん振り返りましょう。確かに過去に戻ることはできません。でも、取り戻したいと思う過去すらない人生なんて、つまらないと思いませんか。あなたは人間として生まれ、人と別れ、辛い気持ちを感じることができます。それは自然なこと、当たり前なことです。
逆に、恋人と別れたのにケロっとしている人のほうが可哀想です。その人は恋人がいたのでしょうが、恋ではなかったのでしょう。
あなたの辛さが大きいほど、大きな恋愛だったのです。
あなたが辛くて悲しいのは、相手との恋愛があなたの生活に深く関わっていたからです。しかし、考えてみてください。相手と出会う前、あなたは普通に生きることができていたはずです。あるいは過去にも、辛さを乗り越えたことがあるはずです。
生きていくために恋愛は必ずしも必要ありません。恋人がいなくても今日を過ごすことができるし、明日も過ごすことができることを知りましょう。
あなたは、恋人がいないあなたでも尊いのです。それを忘れないでください。人間は究極的には一人です。「一人なんだ」という感覚は、失恋した人にはよくわかる真実です。今のあなたにとって必要な学びだからこそ、失恋がやってきてくれたと考えましょう。
失恋をすると、日常の生活に支障をきたすことがあります。寝ることが多くなったり、食べ物が食べられなくなったり、あるいは食べ過ぎてしまったり。
でも、なんとかがんばって、日常を行動しましょう。特に張り切ることも、うまくやろうとすることもありません。1日をこなせば良いのです。洗い物をしたり、洗濯をしたり、料理したり、仕事したり、あなたが普段やっている行動を変わらず続けましょう。
体を動かして行動していれば、そのうち気持ちのほうが体についてきます。気持ちをあなたが決めるのではなく、行動に気持ちを委ねてみましょう。人生はいつもやる気満々で活動しなければならないものではありません。無心でも行動できることに驚くことでしょう。
あなたは失恋の辛い時期にあるかもしれません。でも、実は新しいチャンスでもあるのです。相手と今まで費やしてきた時間を自分のために使えるようになります。その時間は、あなたの自由です。
加えて、あなたには新しい恋愛をする自由があります。今はそんなこと考えられないかもしれませんが、また他の人を好きになっていいのです。世界にはたくさんの人がいて、その数だけ出会いがあります。あなたといつか結ばれる人も、もしかしたら今あなたと同じように失恋しているかもしれませんね。
一方で、恋愛をしない自由もあります。恋愛で心も体もぼろぼろになると、二度と恋なんてしないと思うものです。恋愛はしなくても生きていけるので、恋愛以外でしたかったことにどんどん挑戦していけばいいのです。
失うものがあるということは、得られるものがあるということです。前向きに考えましょう!
【こちらの記事もご覧ください】
【こんな風に乗り越えた。経験者は語る】失恋から立ち直る現実的な方法。立ち直れない人にむけて。
新潮文庫のショーペンハウアー著「幸福について ー人生論ー」からショーペンハウアーの名言を引用しています。ショーペンハウアーは19世紀ドイツの有名な哲学者で、偉人です。哲学というと難しく感じるかもしれませんが、そんなことはありません。ショーペンハウアーは他人との接し方や考え方についてわかりやすい言葉で説明してくれています。
当記事ではショーペンハウアーの名言集にもなっているので、ショーペンハウアーの言葉に興味がある人にも役立ちます。
人間関係の悩みを解決するための極意がここにはありますので、ぜひ参考にしてみてください。
6. 気を遣いすぎない
7. 無理やり関わり合うことはない
8. 簡単に人を信じない
9. 一歩引いて見つめる
10. 自分を良く見せようとしない
11. 自分のことは見えていないのが人間
12. 賢さを表にださない
13. とにかく挨拶とお礼を言う
14. 人に説教しない
15. 腹は立てずに冷静に言う
16.自分のことをしゃべりすぎない
人々とともに生きていかなければならない以上、どんな個性をも、どんなに劣悪で憐れむべき愚劣な個性をも、絶対的に排撃することは許されない。個性は何といっても自然によって定められ与えられたものだからである
ずいぶんひどい個性だと思われる場合には、「こうした変り者もあるものだ」と思うがよい。そう思わなければ、相手を侵害して生死を賭ける闘いを挑むことになる。なぜかというに、相手の真の個性すなわちその道徳的性格・認識能力・気質・人相などは、誰もこれをかえることができないからである
職場でも学校でもさまざまな人間関係があり、1人1人が違う人間です。どんな人にも個性があるため、その個性を否定してしまっては、自分の個性も否定することになってしまいます。
なので、他人の個性や人間性を否定しようものなら、それは自然との闘いとも言うべき命がけのことになります。人間性というのは、そうなるべくしてなっているので、無理に変えようとするのは困難です。
同じ人間といえども生まれも育ちも全く違うので、人間どうしうまくいかなくて当然だくらいに思っていたほうがいいでしょう。
「われも生き、人も生かす」という言葉の真の意味はここにある。とはいえ、この要求は公正ではあるが、実行は容易ではない
相手によっては「性質を変えるわけにはいかぬが、まあ利用してやろう」と考えるのが、いちばん賢明な場合が少なくない
もちろん他人にも自分にも個性があるので、個性を出し合えるのがベストです。まずはじめはお互いがやりやすいように、個性を発揮できるような環境にしていくべきでしょう。
しかし、それは理想にすぎず、うまくいかない場合もあります。環境を上手く変えることもできず、苦手な人や仲良くない人といなくてはならない。まさにこの世の地獄!!!
どんなに願っても、相手の人間性は変わらないんです。諦めます。そのかわり、その人間をよく観察して、自分に利用できるかどうか見てみましょう。相手への好き嫌いではなく、「自分の利益になるかどうか」という視点だけで人間関係を考えてみてください。
仕事や学校で仲が良いと思っていた人でも、ひょんなことからすれ違うことがあります。お互いに罪はないのに、タイミングが悪くて誤解が生まれたり、勘違いしたりします。
でもだいたいは、誤解や勘違いであることがわかると時間が解決していくはずです。人間は、その時の気分や体調、忙しさなどに左右されています。バタバタしていれば余裕がなくなりますし、こちらの考えもつかないことが原因で相手の機嫌が悪くなっていることもあります。
つまり、たとえちょっと雰囲気が悪くなったとしても、一喜一憂しないようにしましょう。考えすぎないようにしましょう。うまくいかないときはうまくいかないんです。人間誰しもそういうことはあるんです。そういうものだと思って静かにしていれば、時間が解決してくれます。
相手のことをわかっているつもりでも、あなたなりに理解しているにすぎません。逆も同様で、他人も他人の頭でしかあなたを理解できません。
仕事、職場で言えば上司には上司なりの、部下には部下なりの立場や考えもあり、一見ふらふらしていてもあなたが知らないところで苦労しているかもしれません。
結局、自分は他人を一面的にしか見れないことを理解しておくべきです。一部しか理解できていないのにわかった気になっていても、うまくいかないのは目に見えています。一方、相手も自分のことの一面しか見ていないのだから、何かを言ってきても気にしないようにしましょう。その人はあなたのことを大して理解もしていないのにいろんなことを言う未熟な人なのです。何もかも真剣に聞いてあげる必要はありません。
人間関係において、上手く聞き流して気にしない技術も大切です。
大部分の人間が情操も才能も全く低級で、したがって全く月並みな人間であることを思えば、それを話相手にするには、その間だけはみずから月並みになるほかない
大抵の人間はきわめて主観的で、したがって全く自分だけよりほかには結局何一つ彼らにとって興味のあるものはない
人はそれぞれ考えるレベルが違います。もしあなたが相手よりも高い次元で考えられるなら、相手に同じことを求めてはいけません。高いほうが低いほうに合わせなければ、低いほうは理解できません。あなた自身が相手の理解力に合わせてあげましょう。
一般的な人は常に自分の視点でしか物事を見ていないので、「相手にとって利益になるかどうか」を加味して言葉をかけましょう。全体のことなどは考えていない人が多いですが、自分の利益になるなら人は動きます。そういった人間の性質を理解していると、物事が進みやすくなります。
甘やかせばつけあがる点では、人間はすべて子供みたいなものだ。だから人に対しては寛大過ぎても、やさし過ぎてもいけない
「人を重んじない者は重んじられる」という気の利いたイタリアのことわざがある
犬でさえ親切にし過ぎると、なかなかおとなしくはしていない。まして人間をやである
人にはとにかく優しくしようと思っている人もいるでしょう。きっとそんな人はいい人です。もちろん、人間どうし気を遣い合いながら優しくやっていけるのが理想です。でも、優しくするだけでは相手が甘えてしまうのも事実です。「この人は怒らないから」と自分勝手なふるまいをする人には困ったものですよね。
しかしあなたがなんとか優しくしようと気を遣うあまり無理がきて、「人間関係をリセットしよう」「人間関係の断捨離だ!」などと極端な行動に出てしまえば、せっかくの人間関係が水の泡です。人と人は、出会うべくして出会っているからです。
今、優しくしようしようと心がけている人は、いっそ他人のことは他人に任せて放っておこうという意識を持ってください。おせっかいを焼くのではなく、大きな意味で信頼するのです。必要があれば助けを求めてくるでしょうし、相手が一人でできることなら「一人でやってみてね」と言って、勇気を促すことも必要です。しなければならない指示や連絡があればします。あとは、あれこれ気を遣うことをやめましょう。
こちらが気を遣わないことで、逆に向こうが自分を大事にしてくれるというのは皮肉なものです。過剰に人の気持ちや人の行動を気にしてる人の中には、たんに臆病であるからという人もいます。それゆえに、むしろ人に気を遣わず堂々としている人が「重んじられる」のです。
ごく普通の人は自分のことしか考えていないし、立派な性格をしているわけでもありません。自分勝手なふるまいが当たり前になっていたり、いじめたり、悪口を言い合ったりしています。
無理にみんなと仲良くなろうとする人は、そういう人たちとも仲良くならねばならないことになります。あなたが今どんなに性格が良くても、性格が悪い人たちの間にいれば、どんどん悪くなっていきます。
本当に仲良くなれる人や、交際を続けていきたいと思える立派な人、尊敬できる人は少ないです。不必要に関わり合いを持たないほうが正解です。それは人間的に冷たいということにはつながらないのです。
自分の世界をしっかりと持ちましょう。
もしあなたが初対面から一週間ほどしか一緒にいなかった相手に「あなたのことはすべてわかった」と言われたらどう思いますか?そんなはずはないって思いますよね。たとえ一緒の時間が長い相手でも、知らないことは意外にあるものです。
他人の性格や癖などは、簡単には分からないので、知り合って間もない人を「あの人はいい人だ!」なんて思い込まないようにしましょう。
そう思い込んで期待を裏切られても、相手は悪くありません。
好きや嫌いの感情からいったん離れて相手を見つめてあげると、自然にほどよい距離ができてきます。はじめから無理に距離を近づける必要はありません。
ゆっくりじっくりも、円滑な人間関係に大事なことです。
仕事の仲間どうしでも、やり合う人たちは足の引っ張り合いをしていたり、大人しい人たちでも陰でさまざまな情報戦をしています。
学校でも、表向きは仲良くしているけど、裏では悪口を言っていたり、いじめがあったりします。
人間関係というのは一筋縄ではいかず、ある意味で人間どうしは争う運命にあるのです。
そんな争いの真っ只中に入って、当事者として消耗するのはなるべく避けましょう。争いたい人には争わせておけばよいのです。そのような争いは起こるべくして起こるのであり、人間とはそういうものだと思っていたら、翻弄されることはなくなります。
心の中だけでも、一歩引いて状況を見つめるようにしましょう。
あなたがいい人を演じていても、ゆくゆくは素のあなたが出ます。あるいは上手く演じられているつもりでも、他人から見ればもう化けの皮は剥がれているかもしれません。
一生懸命やることはいいことですし、「評価されたい」と精を出すのは悪いことではありません。しかし、無理が多くなると「がんばっている自分だから評価されているんだ」と思い込むようになり、うまく力を抜くことが難しくなります。
不思議なことに、気を遣いすぎて「演じている」人よりも、失敗していても素でいる人のほうが好かれたり信じられたりします。どっちにしても素がバレるなら、小出しにしていくのもありですよ。
自分にもたくさん欠点があるにもかかわらず、他人の欠点ばかり指摘する人がいます。自分のことは棚に上げまくるのが一般的な人なのかもしれません。
人には欠点があり、間違えることもあります。もちろん、仕事の上で必要な指摘をしたり、やむを得ず注意することはあるでしょう。しかし、必要以上に相手を責めたり怒ったりしないようにしましょう。そんなことをしても相手は変わりません。人間関係を悪化させるだけです。
「私にも欠点はあるな」「私もはじめは間違えてばかりで苦労したな」などと思うことで、相手を許してあげることができれば、あなたのストレスは軽くなります。
知性や分別によって憎しみやうらみをかき立てられるのが、絶対多数の人間である
グラシアンが「人気を得る唯一の手段は動物中の最も愚かな動物の皮を着ることである」と言っている
自分の頭の良さをひけらかす人が嫌われるのは当たり前ですが、わかる分野のことをちょっとひけらかすだけでも、他人は心の底ではそれほどいい思いをしません。もちろん程度にもよります。「へぇー、物知りだね〜」とか「詳しいね!」などとフォローしてくれることはあるでしょう。
しかし、やがて相手はあなたが披露した知識を知らないことに対して劣等感を抱くようになります。そして聞いてもいないのにしゃべっていては、反感を買ってしまいます。
あなたは、一緒にいれば自分がみじめに思えてくるような相手と親しくなりたいと思うでしょうか。なりたくないですよね。
知っていても、それほど多くを口に出さないでおくというのも試してみましょう。
相手が知らないうちに何かを助けてあげたことありますよね。きっとあなたもあなたの知らないところで他人に助けられています。
特に普段から周りにいる人には、お礼を言っておきましょう。お礼を言われて怒る人はそういません。お礼を言って、「え、なんのこと?」と言われるかもしれませんが、かまわないのです。むしろなんでお礼を言われてるのか相手がわからないほど言いましょう。
自分が知っている世界だけがすべてではなく、いろんなところで人は関わり合っています。「ありがとう」と言うことで、心地よい人間関係を築けます。
同様に大切なのが挨拶です。お礼よりも挨拶のほうが日常生活では多いかもしれません。残念ながら、世の中には挨拶程度のこともできない大人がたくさんいます。信じられないことですが、「おはようございます」と言っても「おはようございます」が返せないのです。
なので、挨拶がきちんとできるだけでもあなたは人間関係を有利に進めていくことができます。こまめにいろんな立場の人に挨拶しましょう。たとえば掃除の人や警備の人、受付の人など、自分の周りを支えてくれている人に気持ちよく挨拶できるといいですね。
人の信ずる不合理を一々説いて思いとどまらせようなどと思ったら、メトセラほどの高齢になっても、けりがつくまいということをよく考えてみるがよい
いかに好意があっても人を矯正する意味の言葉は、対談の際、いっさい慎むがよい。人の感情を害するのは容易だが、人を矯正するのは不可能とまではなかなくても、困難だからである
不合理なことを話しあっているのを聞かされる羽目になって、癇癪がおきそうになったら、これは二人の道化者の間に交わされる喜劇の場面だというふうに想像してみる必要がある
人が星占いや血液型占いの話をしているのを聞いて「それって科学的根拠ないでしょ?」のようにわざわざ話していては、誰もあなたに近づくことはなくなるでしょう。あなたにとって価値がないように思われるものでも、他人にとって価値があるものはたくさんあります。
あなたの考えだけがすべてではないので、何か違うなと思っても、そっとしておきましょう。議論していてはただただ年月が経つだけで、意味はありません。たとえ教え諭したとしても、相手が納得する可能性は低く、怒ってしまいます。
つまり、よっぽどのことでもない限り、他人へ忠告すべきではありません。自分にも他人にも利益にならないからです。大人は、誰のためにもならないようなことはやりません。
なるべく誰にも腹を立てぬがよい
怒りでも憎しみでも言葉や表情に表すのは、無益である。危険である。愚かである。笑止である。低級である。だから怒りでも憎しみでも行為に表す以外に、決して表してはならない
自分の判断を人に信用してもらいたければ、冷静に、激情をまじえずに述べるがよい
自分の言うことを相手に受け止めて欲しければ、冷静に言わなければなりません。
怒り混じりに何かを言っても、相手は内容ではなくあなたの怒りの感情に目を向けます。言っている言葉に喜怒哀楽が多すぎると、内容が伝わりにくくなります。たとえば相手がイヤミを言ってきたとしても、こちらが冷静であれば、向こうはしてやられたようになります。
あなたが動じず冷静に言うことによって、相手の感情は鎮められ、結果的にあなたの言い分が通る可能性が高くなります。
自分の身辺のことは秘密にすべきものと心得るべきである。善良な知人に対しても、その人が目で見てわかる以外の事柄は、何も知られないようにしておかねばならない。どんな他愛のないことでも、それが知られたために不利になることが、時と場合によってはあるからである
処世術を説くすべての人たちが、多種多様な論拠を挙げて、きわめて熱心に寡黙ということを薦めてきた
特に印象の強いアラビアの格言をほんの二三記すことにしよう。
「敵に知られたくないことは、味方に言うな」
「自分の秘密を黙っていれば、秘密は自分の捕虜である。秘密を洩らせば、私が秘密の捕虜になる」
「沈黙の木には平和の実がなる」
どんなに親しい家族や友人であっても、あなたが隠しておきたい秘密や思いをしゃべってはいけません。他人にしゃべってしまったら、それはあなただけの秘密ではなくなります。秘密を打ち明けられた人はさらにまた自分の親しい人にしゃべってしまいます。
秘密や思いをどうしても自分の中にしまっておけず、共有したい気持ちはわかります。
でも、あなたのすべてを他人と共有するわけにもいかないでしょうし、する必要はありません。
自分のことを話し一時的に楽になったとしても、それによって得られる利益がどれほどあるかを考えて話すべきです。そのような慎重さを持たなければならないのが大人です。
親しくもない人に、むやみやたらと自分の考えや目標や夢などを語らないほうがいいでしょう。親しい人に対しても、言える内容と言えない内容を区別し、あとで問題が起こらないようにしておきましょう。
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