人生は軍務のようなものであるのを諸君は知らないのか。
各人の生活は戦役、しかも長い複雑な戦役のようなものである。君は軍人の本分を守らねばならない、そして将軍の目くばせですべてをやらねばならない。もしできれば、彼の欲していることを見抜いてするのでなくてはならない。
人生についていろいろと思うことは誰しもある。
苦しい時、「なぜこんなに苦しまなくてはならないのか!」と嘆くこともある。
そんな時、エピクテトスは言う。
「人生は軍務みたいなもんだよ。まさか知らなかったの????」と(笑)。
ハッピーうきうきと人生生きていけるわけではない。確かにハッピーなときもあるが、一時的か、勘違いだ。
そもそも人生は楽しむために作られているのではないよな、と。
うまくいっている状況の時でさえ、どこかは妥協していたり、我慢していたり、欲求不満だったりする。
では、苦しむために作られたのかというと、それも違う。
人間が勝手に苦しんでいるだけで、別に苦しみは強制されていない。
苦しまないようにするにはどうすればいいかを考えるがゆえに、哲学や宗教を勉強し始める。
「ああ、別に苦しまなくていいんだな」
「人生って不思議だな。どんなに考えても結局わからないや」
心の底から納得できたとき、むさぼるような「学び」をやめ、
自分の人生の役割を全うするための行動を始める。
わたしの、あなただけの「軍務」がある。
]]>自分に満足することは、良いように見えることがあります。「足るを知る」という言葉があるように、身を滅ぼすほどの欲望は自制するべきでしょう。
しかし、もし自分のことしか考えず、「これで満足だ」と他人に何もしないでいれば、あなたは迷い続けます。
あなたは今、本当に何もしなくていい状態でしょうか。
やるべきことがあるのにやらないでいることは、あなたを苦しめます。何もせずに悠々自適な生活、というと羨ましく思うかもしれません。でも人は裕福で働かなくていいからといって、幸福になるわけではありません。
張り合いのない・自分が生きている意義を感じない日々では空虚な気持ちになります。
何かをしなければならないのではありません。するべきだと感じることをしましょう。
「するべきことがないな」と思うなら、見つける工夫をしましょう。病気でもなく健康であれば、あなたにできることはたくさんあります。病気を抱えながらでも、懸命に自分の果たすべき役割を果たす人もいます。
あなたの能力・仕事で助かる人たちがいることを忘れないでください。
どんなに苦しい状況であっても、「最低最悪」なことばかりが起こるわけではありません。時にはほっとする瞬間があったり、愉快なことが起こったりします。
どれほど苦しくても、一歩引いて冷静に状況を見てください。そうすれば、大変な状況の中にあってもなお、心の「ゆとり」を持つことが可能です。
「不可能だ!」と思うことがあれば、いっそう知恵を絞り、探求してください。「人生でこんなに最低な時はない。何も明るいことがない」と感じる一方で、「いや、これは神様からの試練なんだ。今は悪い状況かもしれないけど、そのうち変わる。止まない雨はないんだ」と、落ち着くことができます。
・何かに惑わされることなく自分の意志を貫く
・避けるべき困難を避ける
大人としての成熟は、この二つを上手くこなすことにあります。
人生には困難なことが降りかかってきます。だからといって困難を100%苦しむ人生を歩まなければならないことはありません。
あなたにはあなたの意志があります。それは本来、外部の影響で消滅させてはならないものです。
困難なことと折り合いをつけながら、なるべく自分の思う通りの人生を歩めるよう努力しましょう。
あなたのこれまでの経験から「これはまずいことになりそうだ」と判断できることは、なるべく避けるべきです。あるいは、予防をしましょう。
当たり前のように思えますが、面倒なことをきちんと避けるのは重要な能力です。
たとえば、「あ、この人の話長くなりそうだな」と思っていても、その場に居続ければ長話を聞く羽目になります。何の得にもならないとわかっているなら、早々に離れるなど対処してください。
人生はただでさえ予期せぬ不幸に見舞われるものです。予想できる「やばいこと」を不必要に味わう必要はありません。頭を使ってそれを避け、あなたのやりたいことを実現してください。
]]>あなたにはあなたの考えがあるはずです。
「これがやりたい」と思っていることがもしできていないなら、それはなぜですか?
「お金がないから…」
「時間がないから…」
「なんとなく落ち着かない…」
「今からやっても無駄かも…」
「バカだと思われたら嫌だ…」
「普通の人ならこんなことやらないから恥ずかしい…」
そうやって、自分の意志とは別の何かに妨げられているのではないでしょうか。
外の世界にはあなたを妨害しようとするものがたくさんあります。あなたがもし家族のことにしか余暇を使えないなら、いくら大切な家族といえども負担に思うこともあります。
「本当に落ち着くタイミング」は、人生には存在しません。いつもあなたの周りには何か不自由なことがあります。誰でもそうです。
でも、あなたにとって、あなたの心の底から湧いてくる意志以上に大切なものなどあるのでしょうか。
まずは、外の世界には自分の意志を妨げようとするものが多くあることを知りましょう。家族・職場の同僚・友達との付き合いなど、たくさんの雑事があります。
その上で、最も大事なのはあなたの意志であることを認識してください。
人生とは、周りに左右されることなく、いかに自分の意志を貫けるかにかかっています。
あなたという人間は、あなたの行為によって存在が証明されます。人間ですから、不安や悩みを抱えてしまうことがもちろんあります。それらに押しつぶされると、何もできなくなってしまいます。しかし、あなたには他人のために使える能力があります。その能力は発揮されることを待っています。
不安や悩みで時間を費やすことをやめましょう。何も解決しません。寝たり遊んだりしているほうが良いです。
行動・行為によってのみ、道は開かれます。
「この疑問が解決したらあれをしよう」と思っているとします。その疑問が解決しても、新しい疑問が生まれます。疑問が生まれる人は、一生なんらかの疑問を持ちながら生きていくものだと思いましょう。
つまり、疑問を言い訳にしていては、死ぬまで行動できないのです。
吹っ切れなくてもいいんです。悩みながらでもいいんです。
あなたが「これをするべきだな」と思う行動をしてください。
他人と比較して頭がいっぱいになるのは愚かなことです。
「不幸」は、他人との比較によって生まれます。自分一人しかいなければ、境遇を比較する他人がいないので、「不幸」を認識することすらできません。
外界に存在するものは、すべてあなたの「思いなし」によるものです。
「他人よりも優れたい」「他人から尊敬されたい」「あいつは邪魔だ」など、自分の意志外のことにかまけていては、大事な時間を失います。
自分で勝手に「勘違い」をして、自分で自分を苦しめるのはやめましょう。
自分がどうすべきなのか認識してさえいれば、自分以外のことに妨げられる理由はありません。
自信を持って、「こうしたい」と思うことを貫いてください。
]]>他の人たちが普通に享受できている境遇が自分にはなく、絶望を感じているのでしょうか。なりたくてなっているわけでもないのに、いわゆるニート生活を送る人もいます。
人生を諦めようとまで思ってしまったあなたは、多くの辛いことがあったのでしょう。あるいは、辛い思いから目をそらし、逆にもっと辛い目にあっているのかもしれません。
「人生を諦める」という考え自体は、実はかなり昔からさまざま人たちが抱いたものなのです。
人生への諦め、死を意識した昔の賢い人はどんな名言を残しているか見てみます。
誰かが若くして死ぬと、世間の人は「なぜこんなに早く死なねばならなかったんだ」と、不運を嘆きます。現代の日本では100歳まで生きるのも珍しくありません。しかし、事故や自殺、病気などで突然終わるのが人生です。
一方で、他人に迷惑ばかりかけているように思われる老人がいつまでも生きていると思ったことがあるはずです。歳ばかり食っていて、人間的に成長していないお年寄りもいるものです。
若くして死ぬのは嫌。歳をとって死ぬのも「いい」わけではありません。なるべく生きていたいのです。しかし人生において何かをなすべきだとも思っていません。つまり、「生きようともしなければ死のうともしないなんて変な人たち」です。
生きているうちは「もう自分の命なんてどうでもいいや」と考えることが何度かあるかもしれません。ですが、いざ自分の死が見えると、素直に受け入れることは難しいのです。
「人生を諦めた」と思っている人は、実はこの「生きようとも死のうともしない」人間になっています。
生きようとする気力も、死のうとする気力もありません。ただただ人生に絶望して無気力でいます。生きていても辛いことだらけだし、死ぬのは怖い。いっそ爆弾でも落ちてきてひと思いに死ねたら楽でしょうか。
自殺は、自殺したい人たちができるというものではありません。自殺したくてもできない人たちはたくさんいます。
自殺は生きているからこそできる一つの行動です。たとえば、落ちているゴミを拾える人がいる一方で、気づいても拾わない人がいるのと同じです。自殺という行為ができるタイプとできないタイプとに分かれると言えます。
どちらのタイプも、この人生から消えてしまいたいと思っている点で同じです。経験してきたことは違っても、同じような苦しみを抱えています。生きながら死んでしまい、結果として人生を諦めてしまう人たちは多いのです。
無気力でいても、やる気満々でいても、あなたはそのうち死んでしまいます。死ぬと肉体が取り残されます。生きているうちは水を飲みご飯を食べて生きていますが、死んでしまえばそんなこともできません。
あなたはまさに「死体を持ち運んでいる小さい魂」と言えます。
今は身体を自分の意思で動かすことができます。死むと動かすことはできないのに、驚くべき事実だと思いませんか。
生きているからこそ、動いたり考えたりできるのです。生きていないと生きていることに悩めません。不思議なものですね。
順風満帆に生きてきたように見える人たちも、思い通りに人生を歩んでこれたわけではありません。あなたと同じように、多くの困難に出会っています。
物事は自分が希望している通りに起こるものではありません。なるようになっていきます。なるようにしかならないと言ってもよいかもしれません。
どんなに対策・準備していても苦労するのが人生です。人生に対して余裕を持って接するには、未来の出来事がそのまま起こるように起きたらよいと思えることが大切です。
これから先、あなたの人生への諦めがどのように変化していくかはわかりません。ですが、起こるべくして起こることが必ずあります。それに対して「起こるように起きてくれたらいいや」とゆったりしていましょう。
思い通りの出来事だけを起こそうとするのはやめましょう。うまくいくこともあるかもしれませんが、うまくいかない場合のほうが多いのです。うまくいくはずだと思っているのにうまくいかないことが、無力感につながります。もともと人生なんてままならないことのほうが多いのに、自分に都合よく周りが動くことを期待していては、裏切られて当然です。
起きてくるすべての出来事はきっとあなたに対処できるものだと自信を持ちましょう。人生には積極性ばかりが注目されがちですが、不運に対する受け身が上手い人は人生の達人になれます。
人は裸で生まれ、死んでも持っていけるものはありません。
あなたが「持っている」と思っているものは、生きている間の「借り物」です。ありとあらゆるものがそうなのです。
家族、友人、仕事、趣味、家、気に入ってるもの、すべて当たり前のように存在しています。しかし、どれもいつかはあなたのもとを去ります。自分の身体・命でさえ思い通りにいきません。
人生への諦めを感じているあなたは、多くのものを失ったと感じているかもしれません。
たとえば、お金を持つどころか借金だらけで、仕事をしてもお金がたまらない。借金を知らなかったあの頃に帰りたい。
借金でなくても、何かを「抱えている」ことに苦しんでいるでしょう。その「抱えている」という感覚もまた、幻想なのです。たしかに「抱えている」ものがあると思っているかもしれません。でも、それについて苦しむかどうかはあなた次第です。だれもあなたに苦しめなんて思っていないし、思っている人がいるならその人はあなたより恐ろしく不幸です。
あなたの人生では、必要な時に必要なものが手に入ります。時期が来れば手放さなければなりません。いつまでも自分のものなんてないことを悟り、今てもとにあると感じているものを大切にしましょう。
旅人は旅宿で休みますが、旅宿は旅人の家ではありません。たとえばあなたがホテルの部屋に泊まるとき、その部屋の模様替えをしたり新しい家具を入れたりすることはありません。同様にして、あなたの人生に与えられたものを、まるで他人のものかのように扱いましょう。すると、執着がなくなり自由な気持ちでいられます。
「どうせ死ぬ」と考えることは、人生に無力感を引き起こすこともあります。一方で、無理に欲望することが少なくなります。
たとえば、世界中のお金を集めたとしても、人生はそのうち終わるのです。だからといって、どうせ終わるのだからお金が無意味かというと、そうではありません。生きている間、自分が有意義だなと感じたものにお金を使い、死ぬだけです。
他にも、「どうせクビになってもいいや」という姿勢で仕事をするなら、かなりリラックスして仕事ができます。これはサボってもいいというより、無理に気合いを入れなくて済むということです。気合いを入れても入れなくても、あなたはあなたです。無茶をしても限界がきます。「クビになったらまた新しい仕事探せばいいや。もし次の仕事に就けず食べていけないなら、それは神様にもういいんだって言われてるのかな」などと気楽に考えればよいのです。
人生は、求めたものが何もかも手に入るようにはできていません。「過去に戻りたい」と思っても、一生実現することはないでしょう。
「最悪」を想定することで、尽きぬ欲望を制御できます。人生を生きるコツは、欲望と上手く折り合いをつけることです。攻める時と守る時との切り替えに、「死」の存在はとても役立ちます。
生きていないと死ぬことはできません。
「死」を思えること、人生は「死」すら活かせること、不思議だと思いませんか?
あなたには、今のあなたにふさわしい仕事があります。当然、チャレンジすることを否定しているわけではありません。妥当だと思えるチャレンジをしていくのは良いことです。
でも、たとえばアインシュタインが大リーガーになろうと40歳から野球を始めたとしても、きっとなれなかったでしょう。アインシュタインにはアインシュタインの仕事がありました。
あなたにも何かしらの能力があります。能力の優劣は、人生を送るのにあまり重要ではありません。もしあなたが1時間でゴミを10個拾えるとして、一方ゴミ拾いの達人は20個拾えるとします。あなたがゴミを10個拾ったことは無駄でしょうか?そんなことはありませんね。
あなたが他人と比較してしまい、無力に感じて能力を発揮できなければ、もったいないことです。世の中には多くの会社があります。でも、世界で一番大きな会社があるからといって小さな会社が無意味ということはありません。それと同じで、あなたはあなたという人生の主人です。あなたなりにできることをやってみましょう。
人生を諦めて無気力になると、生きている意味を見失います。その時に、いざ死ぬわけにもいかず、本当にわずかな欲望だけが残ります。ご飯を食べよう、水を飲もう、動画を見よう、ヤフーニュースでも見よう、掲示板に書き込もう、などです。生きている以上、何もしないということは不可能です。
以前は楽しいと思っていたことが楽しくなくなったり、好きなものを見つけられなかったりします。それはそれでいいのです。
さまざまなことに意欲がなくなったまま死んだとします。意欲がないまま死んだ人間だということにすぎません。そういう人は過去に数えきれないほどいます。せっかく「自分だけの苦しみ」を享受している最中なのに、特別な人間でないことが悲しいでしょうか。残念ながらあなたの苦しみは、今までの人類の苦しみでもあったのです。
人生を諦めた人に効く特効薬はありません。気慰みの言葉も、世の中のいかなる薬も、根本的な解決にはならないでしょう。ではこのまま死ぬのか、悔しい、なんだかやりきれない。そんな最後の防波堤があなたにあるなら、それはあなたの本物の魂と言えます。
自分の心の奥底から湧き出るものに耳を傾け、ほんの小さな一歩を踏み出してみたっていいのです。あなたのリベンジを、未来で待っている人たちがきっといますよ。
そこにあるものや、運命によって与えられたものに不満な者は、生き方に教養のない人である。だがこれらを立派に辛抱し、それらに基づくものを筋の通るように使用する者は優良な人と見做される値打がある
引用:岩波文庫『人生談義(下)』エピクテートス 鹿野治助訳より
あなたはこれまで人生を歩んできて、持っているものや得意なことがあるはずです。お金があるなら使うこともできますし、空いた時間を見つけて好きなこともできます。
無い物ねだりや無理な願い、無駄な後悔をしても意味がありません。
今ここからスタートしましょう!
あなたにはあなたにしかないものがあるはずです。お金も時間も無限にはありません。しかし、あなたは今のあなたのままで新しいスタートを切れます。自分のやりたいと思ったことを、少しずつでもいいからできる範囲で進めていきましょう。「自分磨き日記」をノートに書き始めると面白いですよ。今はスマホでも自分磨きのためのアプリがあります。コツコツと続けていけば、気がつくと生まれ変わった自分になっています。
君のものでない長所は何も自慢せぬがいい。もし馬が自慢して「私は美しい」というならば、それは我慢できるだろう、だが君が自慢して「私は美しい馬を持っている」というならば、いいかね、君は馬の優良なことを自慢しているんだ。ところで君のものは何かね
引用:岩波文庫『人生談義(下)』エピクテートス 鹿野治助訳より
立派な家・高級な服・豊かな財産・誇れる地位・高学歴などは、すべてあなたの外側にあるものです。世間ではこれらのある人が尊敬され、あなたも羨ましいと思っているかもしれません。
しかし、あなたはあなたのうちにあるものを磨くべきです。
たとえば、自分磨きの動機が間違っている例を挙げてみます。なんとなくみんながやってるから英会話をはじめる、モテるために外見にお金をかける、友達に見せるために高級車を買う、などです。これらはすべて「他人から見て自分がどうか」を気にしています。羨ましいと思ってもらおうとしたり、好意を手に入れようとしたりするのはやめましょう。結局そのように他人のことばかり見て自分の内側に目を向けなかったから今の状態があるのです。
自分ではどうにもならない「他人の視線」のために自分磨きをしてはいけません。先の例では、英会話でも元々やってみたかったことであれば挑戦するべきです。外見でも、自分が何とかしたいと思っていたり、車でも自分の満足のために欲しかったら買ったりするのも良いでしょう。でもそれらは、「他人にこう思ってもらいたい」というきっかけでスタートしてはいけません。
あなたの心の声を聞き、本当にやってみたかったことを自分のためだけにやりましょう!
肉体に関する事柄で時間を費すこと、例えば長時間運動をしたり、長時間食ったり、長時間飲んだり、長時間排便したり、長時間交接したりすることは才のないしるしである。しかしこれらのことは余事としてなさねばならぬ。君の全注意は心に向け給え
岩波文庫『人生談義(下)』エピクテートス 鹿野治助訳より
今までやったこともない運動を無理にしたり、失恋やストレスを言い訳にして暴飲暴食をしたりするのはやめましょう。確かに運動することも食事することも大切です。でも、それらを自分が見失うほどむさぼってはいけません。
何事も、ほどよくやるのが良いのです。好きなことに没頭するのは素晴らしいことです。しかし、常に心の中では物事に対する距離感を感じて、冷静でいましょう。
進歩した者のしるし ー それは彼が何人をも咎めず、何人をも褒めず、何人をも非難せず、何人をも責めず、自分自身についてひとかどの者であるかのようにも、何かを知っているかのようにも話さないことである
岩波文庫『人生談義(下)』エピクテートス 鹿野治助訳より
あなたは今までにさまざまな経験をして、「自分磨きをしよう!」と思い立ちました。「あいつに馬鹿にされた」「あいつに振られた」「こんな自分じゃダメだ」など、悔しい思いをたくさんしたと思います。
しかしそんな自分を責めても、あるいは他人を責めても現状は変わりません。くわえて、誰にも罪はないことがほとんどです。みんな必死に生きていて、周りを見る余裕もありません。
あなたも、他人も不完全です。だからこそ、向上しようと思うのです。謙虚な気持ちを忘れず、あなた自身が新たに一歩を踏み出せるようにがんばりましょう!
君はもう子供ではなくて既に一人前の大人なのだ。今もし君が不注意でだらしなく、君が君自身に注意する日を次々と定めていつも延期に延期を重ねるならば、君自身はそれと気づかずに進歩することなく、生きても死んでも普通の人として終ることだろう。だから君自身をもう完成し、進歩しつつある者として、生きるに値すると思うがいい、そしてすべて最善と思われるものを君に対して不可侵の法則とするがいい
岩波文庫『人生談義(下)』エピクテートス 鹿野治助訳より
あなたはいつの間にか大人になりました。あなたにあれこれと注意してくれる人は少なくなっていることでしょう。大人は、自分の生き方に自分で責任を持たなければなりません。あなたが変わりたいと思ったら、あなたが自分を変えていくしかないのです。
あなたを向上させられるのはあなただけで、それができなければなんでもない普通の人となります。いつまでも妥協し、いつまでも甘え、いつまでも変わらない。
そんな日々を新しくする挑戦があなたにはできます!
あなたの人生の主役はあなたなのです。
心から歩んでいきたいと思う道を、勇気を持って歩んでください!