悟りからは遠い名言「人生は死ぬまでの暇つぶし」

人生は死ぬまでの暇つぶし、という言葉には、人生に対する怒りが内包されている。わざわざ人生に向かって「暇つぶしだ!」と述べることは、どこかで「意義のある」ことがあったと思っていた、でもそんなのなかった、ひどいじゃないか!という怒りだ。人生に対して真面目に問いを投げかけてきたからこそ、それに答えてくれない人生に対し、「なんだよ、どーせ暇つぶしかよ」という気持ちになる。人生に対する無力感の裏返しであり、「意義ある」ことができない自分は、「暇つぶし」程度の価値のことしかできないと思っているのだ。

このあたりの、潜在意識にある怒りに気づかない限り、「人生は死ぬまでの暇つぶし」と主張する人は悟りが開けない。

生きているということに対して、より客観的にならねばならない。潜在的な怒りが生み出す「人生は暇つぶし」理論は、怒りの消滅により主張する気がなくなるだろう。

生命は奇跡的なことで、とてつもないことだ。生きていると認識できること自体がすごい。

そう、あなたはこの言葉だけでは何も解決しないと思うかもしれない。だが、気づいて欲しい。解決すべきものなどこの世にはなく、あなたの頭の中にだけ存在するということを。