【名言・内容まとめ】『ゲーテとの対話 中』 (岩波文庫) | エッカーマン, 山下 肇

岩波文庫エッカーマン著『ゲーテとの対話(中)』より引用している。
『ゲーテとの対話』は、かの有名な哲学者ニーチェも絶賛していた名著。一度は読んでみることをおすすめする。


あの人よりも自分の方が先にあの世へ行くと思っていたよ。しかし神は、神がよいと思われる通りになさるものだ。われわれあわれな人間には、できるだけよく、できるだけ長く、ただ耐え忍びながら、自分をもちこたえる以外に手がないのさ


われわれはいつだって何かしら制約を感じている。自分たちを取り囲む人とか物とかに影響をうけている。お茶のスプーンは銀にかぎるというわけで、金のが出たりすると、さっそく気をもむ。こういった次第で、いろいろと気兼ねしているうちに、いつしか心も麻痺してしまい、われわれの天性に備わっているかもしれない何か偉大なものを自由に表現するまでにはいたらないのさ。われわれは、外界の事物の奴隷にすぎず、事物がわれわれを萎縮させるか、のびのびさせるかに応じて、われわれは、つまらない人間にも見えれば、偉い人間にも見えるのだよ


概して人間というものは、自分の情熱や運命のおかげでもう十分に陰うつになっている


人間には、明るさと晴朗さが必要なのだ


こうしたことが実際起こったのだと認める方が、私は理性的なことだと思う。しかし、それがどうして起こったか、などと思い煩うことは、無駄な話だよ。そんなことは、解決できない問題にかかずらって喜んでいて、他のこととなるとからきし駄目な連中に、勝手にやらせておけばいいのさ


私の作品は大衆のために書いたものではなく、同じようなものを好んだり求めたり、同じような傾向をとろうとしているほんの一握りの人たちのためのものなのだ


ひとかどのものを作るためには、自分もひとかどのものになることが必要だ


私は、ギリシャ人やフランス人に多くのものを負うているし、シェークスピアやスターンやゴールドスミスにも限りない恩恵をこうむっている。だからといって、それだけでは私の教養の源泉だとは、決めつけられない。いちいち数えあげるとなると、きりがないし、第一そんな必要もなかろう。大事なことは、真実を愛する魂、真実を見出したらそれを摂取するだけの魂を持っていることだよ


この世界は、現在では老年期に達していて、数千年このかたじつに多くの偉人たちが生活し、いろいろと思索してきたのだから、いまさら新しいことなどそうざらに見つかるわけもないし、言えるわけもないよ


真理というものはたえず反復して取り上げられねばならないのだ。誤謬が、私たちのまわりで、たえず語られているからだ。しかも個人個人によってではなく、大衆によって説かれているのだからね。新聞でも、百科全書でも、学校でも、大学でも、いたるところで誤謬はわがもの顔をしている。自分の味方が大勢いると感じるから、いい気になっているわけさ


キリスト教は、それ自体強力なものであり、むしろ時には落ちぶれたり、悩んだりする人類は、いつも、キリスト教によってみずからを立ち直らせてきた。キリスト教にこうした働きのあることを認める以上、それはあらゆる哲学を超越したものであり、哲学の力を借りる必要など毛頭ないわけだ。同様に、哲学者の方も、ある種の説、たとえば霊魂不滅説のようなものを証明するために、宗教の名声に頼る必要などないのだ。人間は、不死を信じていいのであり、人間は、そうする権利を持っているし、それが人間の本性にかなっているのであり、宗教の約束するものを期待していいのだよ。だが、哲学者がわれわれの霊魂の不滅を、伝説を用いて証明しようとしたら、それはじつに説得力がとぼしく、たいして意味のないことになる。私にとっては、われわれの霊魂不滅の信念は、活動という概念から生れてくるのだ。なぜなら、私が人生の終焉まで休むことなく活動して、私の精神が現在の生存の形式ではもはやもちこたえられないときには、自然はかならず私に別の生存の形式を与えてくれる筈だからね


フランス人の詩的な能力はヴォルテールに集約されたのだよ。こういう民族の旗頭は、彼らが活躍する時代においては、偉大だ。後世まで、影響をあたえる人物もいるにはいるが、大部分は、他の頭にとってかわられ、次の時代には忘れられてしまうのさ


それに経験を積むとなると、先立つものは金だよ。私がとばす洒落の一つ一つにも、財布一ぱいの金貨がかかっているのだ。今自分の知っていることを学ぶために、五十万の私の財産が消えていったよ。父の全財産だけでなく、私の俸給も、五十年余にわたる相当な額の文筆収入も、そうだ


才能があるというだけでは、十分とはいえない。利口になるには、それ以上のものが必要なのだ。大きな社会の中に生活してみることも必要だし、当代一流の士のカルタ遊びを見たり、自分も勝負に加わってみることも必要だね


すべてのものは、多かれ少なかれ、屈折しており、揺れ動いており、多かれ少なかれ、人の意のままになるものだ。しかし、自然は、けっして冗談というものを理解してくれない。自然は、つねに真実であり、つねにまじめであり、つねに厳しいものだ。自然はつねに正しく、もし過失や誤謬がありとすれば、犯人は人間だ。自然は、生半可な人間を軽蔑し、ただ、力の充実した者、真実で純粋な者だけに服従して、秘密を打ち明ける


悟性は、結局、自然には到達できないのだ。神性に触れるためには、人間は自分を最高の理性にまで高めるだけの力がなければだめだ


神性は、生きているものの中に働いており、死んだものの中には働かないのだ。生成し変化するものの中にはあるが、生成の終ったもの、固まってしまったもの、の中にはない。だから、神性へ向う傾向のある理性は、もっぱら生成しつつあるもの、生きているものだけを相手にする


豪華な建物や部屋などというものは、王侯や金持ちのためのものだ。そんなところに暮していると、安楽をむさぼり、太平楽になれて、もうそれ以上なにもしたくなくなる


君も、これからの人生でだんだんわかってくるだろうが、世の中には、当然立つべき立場に立っていることのできる人間というものは、ほんの僅かしかいない


人間は、高級であればあるほど

ますますデーモンの影響を受ける。だから、自分の主体的な意志が横道にそれないように、たえず気をつけなければいけない


われわれのより良い性質を終始たくましく維持して、デーモンが不当に跳梁しないようにすることは、どうして、じつに難しい


誰も、自ら進んで他人に仕える者はいないよ。だが、そうすることが結局自分のためになると知れば、誰だって喜んでそうするものさ。ナポレオンは、人間を十二分に知りつくしていた。それで、人間のこの弱点を存分に利用することができたのだね


クロード・ロランは、現実の世界を隅から隅まで、すらすら空でいえるほどしりつくしていた。それを彼は自らの美しい魂の世界を表現するための手段として用いた。これこそまさに本当の理想性だよ。現実を手段として利用しながら、真実に見えてくることがまるで現実であるかのように思いこませることを知っているのだ


自分自身を知るように努めよ、とね。しかしこれは考えてみると、おかしな要求だな、今までだれもこの要求を満足に果せたものなどいないし、もともと、誰にも果せるはずはない。人間というものは、どんなことを志しても、どんなものを得ようとしても、外界、つまり自分をとりまく世界に頼るものだ。そしてなすべきことといえば、自分の目的に必要な限り、外界を知り、それを自分に役立たせることだ。自分自身を知るのは、楽しんでいるときか、悩んでいるときだけだ。また、悩みと喜びを通してのみ、自分が何を求め何を避けねばならぬかを教えられる。だが、それにしても人間というものは、不可解な存在であって、自分がどこから来てどこへ行くのかもわからず、世の中のこともろくろくわかっていないし、ましてや自分自身のことになると何よりもわからないのだ


困るのは

人生において誤った傾向にさんざん邪魔されているのに、それからきっぱりと離れられないうちは、そういう誤った傾向に気づかなかったことだ


誤った傾向は

生産的ではない。そういうばあいには、生み出されたものにも何の価値もない。他人をみてこれに気づくのは、それほどむずかしいことではないが、自分自身にそれを認めることとなると稀有な話で、どうしても、偉大な精神の自由さが求められる。たとえ自分で知ったところで、それが力になるとはかぎらない。遅疑逡巡していて、なかなか決心がつかないからだ。ちょうど、不実の証拠を長いあいだくり返し見せつけられているというのに、恋する娘から離れるのがむずかしいようなものさ


彼はこれほどの事故にあっても、じつに落ちつきはらっていて、『小生はひとつの経験をいたしました、これを無駄にしないつもりです』なんて、ぬけぬけと書いているのさ。こういう男こそ、まさに男一匹、一人前の人間といえよう。愚痴もこぼさず、すぐにまた仕事にとりかかり、いつもじっとしていないところを見ると、じつに楽しくなるな。どう思うかね、実に立派じゃないか?


肝心なのは、克己・自制することを学ぶことだ。もし私が誰にも妨げられず、したい放題にふるまったとしたら、きっと自分自身はもちろんのこと、まわりの者も破滅させてしまったにちがいないね


精神の意志の力で成功しないような場合には、好機の到来を待つほかないね


人は信仰と溌剌とした勇気によってどんなに困難なことにでも打ち勝てるが、そのかわり発作的なほんの僅かな疑いでもたちまち破滅してしまうという高遠な教えがあらわれているよ


忠告を求める者は目先きがきかず、与える者は僭越だということだ


すぐれた人格を感じとり、尊敬するためには自分自身もまた、ひとかどの者でなければいけない。エウリピデスの崇高さを否定した連中は、すべて頭のからっぽなあわれな者だし、そのような崇高さはわからないのだよ。あるいは、僭越にも貧弱な世間を前にして実際の自分よりもよく見せようとし、また事実そう見せることのできた恥知らずな詐欺師どもなのだ


作家は、自分の人生のそれぞれの年代に記念碑を遺そうとするならば、生れつきの素質と善意を手放さないこと、どの年代でも純粋に見、感じること、そして二次的な目的をもたず、考えた通りまっすぐ忠実に表現すること、それがとくに大切だ


未完の第四幕のところには、白紙を入れておいた。こうして出来上ったものを纏めてみると、それに惹かれ、刺戟されて、まだ出来ていないものも完成しようという気になるものだ。そういった感情的なものも、意外にばかにならぬものだから、あれこれ手をつくして精神的なものを助けるようにしなければならない


若い人は、何でもみな一日で事が成ると思っている


安楽で、上品な家具を身のまわりにおくと、考えがまとまらず、気楽な受動的状態になってしまうのだ。若いときからそうした環境になれているなら別だが、きらびやかな部屋や、しゃれた家具とかいったものは、思想ももたず、また、もとうともしない人たちのためのものだよ