ヘルマン・ヘッセの名言・格言 『知と愛』より

ヘルマン・ヘッセ著 高橋健二訳 『知と愛』 新潮文庫より
(NARZISS UND GOLDMUND)(ナルチスとゴルトムント)

『知と愛』についてのコメントはこちらで書いております
【冒険と人生】愛欲と放浪の生活を経て悟る人生の答え

芸術が君にもたらしたもの、君にとって意味したものは、いったい何だったかね?

それは無常の克服だった。人間生活の道化と死の舞踏から、あるものが残り、生きのびるのを、ぼくは知った。それはつまり芸術品だった

ありがたいことに、君は芸術家になり、形象の世界をものにした。そこで君は創造者となり、支配者となることができる。思索家として不十分な世界にとどまっているかわりに

今はじめてわたしは、認識への道がどんなにたくさんあるかということを、精神の道は唯一の道ではなく、おそらく最上の道でもないことを悟った。精神の道はわたしの道だ、たしかに。わたしはその道にとどまるだろう。だが、君は反対の道で、感覚を通る道で、存在の秘密を、大多数の思索家がなしうると同様に深くとらえ、そしてずっとずっと生き生きと表現するのを、わたしは見る

神が君の祈りを聞くかどうか、君の想像するような神が存在するかどうか、そんなことを思いめぐらしてはいけない。君の骨おりがたわいないかどうか、そんなことを思いめぐらしてはいけない。われわれの祈りの向けられるところのものに比較すれば、われわれの行為はすべてたわいない。君はお勤めのあいだはそんなおろかしい幼児の考えをまったく封じなければいけない。主の祈りとマリアの歌を唱え、その文句に没頭し、それでみたされきらなければならない

君のおちつきを、平静を、平和をぼくはうらやむ

君が考えているような平和は存在しない。(略)常にくり返し不断の戦いによって戦い取られ、毎日毎日あらたに戦い取られなければならないような平和があるばかりだ。(略)正しいすべての生活がそうであるように、君の生活もそうであるように、戦いと犠牲なのだ

厳格な勤めをすこしも怠らなかった。しかし彼は友を失って悩んだ。自分の心は神と役目とにだけささげられるべきであるのに、どんなにこの友に執着しているかということを知って、彼は悩んだ

人間は、神によって作られたとき、官能と衝動、血の気の多いなぞ、罪や享楽や絶望へ走る力をそなえていたのではないか

いずれにしても、高い定めを持って生れた人間は生活の血の気の多い陶酔的な混乱の中に深く浸り、ちりや血にまみれることはあっても、卑小になることはなく、自分の中の神々しいものを殺すことはなく、深い暗がりに迷うことはあっても、彼の魂の神聖な奥で神々しい光と創造力とが消えることはない、ということをゴルトムントはナルチスに示した。

打ち明けて言ってよければ、ぼくは彼岸を信じていない。彼岸なんてものは存在しない

ぼくが死に興味を持っているのは、自分は母への途上にあるということが、いつも変らずぼくの信仰、あるいは夢であるからにすぎない。死は大きな幸福であるだろう

ぼくをふたたび引きとって、虚無の中へ、純潔の中へ引き戻してくれるのは、かまを持った死ではなくて、母である

ぼくは理屈なしに、死ねなかったのだ

だが、ナルチス、君は母を持たないとしたら、いつかいったいどうして死ぬつもりだろう?母がなくては、愛することはできない。母がなくては、死ぬことはできない