もちろん、仕事をしないで生きていける裕福な人もいるでしょう。
普通の人でも仕事をしないで生きていけますが、
生活保護を受けたり、養ってもらったりすることになります。
ここでは、生きていく前提で、かつそのためには仕事をする必要がある人を対象にして書きたいと思います。
仕事にそもそも意義、やりがいを感じない人。
人間関係が良くない・プレッシャーが強すぎる・思うように行かない現状の仕事を辞めたい人。
仕事を思うだけで朝起きるのも辛い・人間関係で悩んでいる・仕事ができないから仕事に行きたくない人。
仕事をしている人の数だけ悩みがあります。
今の仕事が嫌なだけで、他の仕事に魅力を感じる人がなすべきことは簡単です。魅力を感じる仕事への転職活動をがんばればよいだけです。今の仕事が終わったら新しい仕事に向けての勉強に励んだり、休日もそのために費やせばいいでしょう。転職をしたい、余暇も過ごしたいというのもけっこうです。でも、人生の時間には限りがあります。1日24時間の中で時間を割り振り、納得のいくように活動しましょう。
今の仕事をやめると生きていけるか不安だと感じるなら、具体的にどのような状態にあれば不安がなくなるのか考えましょう。たとえば、とりあえず3ヶ月生活費があればよい、などです。その間に転職活動をします。失業手当がある人など、状況は一人ひとり違うので、自分にあった答えを出すしかありません。正解はありません。強いて言えば、あなたが必死に出した答えはすべて正解です。
あまりに仕事について不安・心配なら、あなたが過剰に「自己保存」をしている結果です。自分を大切にしすぎているんです。
仕事に行きたくないと思う人は、怒られるからでしょうか、怒鳴られるからでしょうか。みんなの期待に応えなければとプレッシャーを感じているのでしょうか。
あなたに降り掛かっている問題は、解決可能だと信じましょう。つまり、どうしようもないなら、神様が悪いとでも思っていれば良いですし、任せられた仕事がうまくできなかったなら、任せてきた上司が悪いのです。
人間とは、現象にすぎません。あなたや私は人間の身体という、一種の「借り物」をこの世界で身につけているだけです。あなたも私も100年経たないうちに火葬場で燃え、骨となっています。生きている間は、五感でさまざまなことを感じることができます。脳みそでたくさんのことを考えて、世界を解釈します。そして死にます。必死になって「あなた」を守って、大切にして、本能のなされるがままに生存欲求に屈するのは、精神を持つ人間として悔しいでしょう。思うままに生きていくことが、われわれ人間にはできるのです。
仕事に意義ややりがいを感じない人は、普通です。そう感じる人は鋭い人、世の中のことに対して冷めた見方をしがちな人、世界に距離感を感じる人、といったタイプでしょうか。
簡単な話で、すべての人間はいつかは死に、できたものはいずれ壊れます。医者は病気を治す手助けをしますが、患者の寿命が少し伸びたり、苦痛を和らげる・なくすことしかできません。何年後か何十年後には死ぬ人たちの治療を行います。もし”絶対的な意義”を求めるなら、死ぬ運命にある人間の延命をする医師の仕事は無意味でしょう。
建物を作る人だって、その建物は未来永劫残り続けるわけではありません。食料を生産している人だって、今生きている人たちの胃袋を満たしていますが、どんな食べ物であったとしても人間を永遠に生かすことはできません。
一般的に立場が良い・尊敬されるような仕事でさえ、根本的なところを突き詰めていけば”絶対的な意義”はありません。短い人生の中で「あの仕事は立派だ」「あいつは出世して偉い」などと言って、妄想に翻弄されて生涯を終えるのが大半の人たちです。
現代日本では、ホームレスの人たちもホームレスなりの仕事をしています。路上で乞食をして生きていくことが非常に困難、ほぼ不可能だからです。働かずに収入を得るにはさまざまな手段がありますが、積極的な不労所得という意味では資産運用の配当などがあります。しかし多くの人には関係のない話です。
他に、生活保護や年金などもあります。これらは自分がそのお金を受け取る資格があるかどうかが大事です。生活保護を不正に受給すれば、その不正をした人生を背負うことになります。人生の幸福は心の清らかさ・平安にあるので、間違ったことをしていれば報いを受け、苦しむことになってしまいます。生活保護などは、自分がどうしてもそういう状態になってしまったときに考えればよいのです。
遺産や貯金がない人は、基本的に仕事をして生きていくことになります。
仕事の種類・労働時間・労働環境・向き不向き・給料の多い少ない、などの問題と向き合います。
具体的な問題で悩んでいる人は、解決が簡単です。給料が少ないなら残業をして長時間働くか、給料が高い職への転職を考えねばなりません。
「それが簡単にできるなら苦労しない!」と言うなら、不可能なことを考えて悩んでいるようなので、不思議です。
太陽はなぜ西から昇らないのかと腹を立てているのと同じです。
どうしようもない状況であるならば、ジタバタする必要はありません。やれるところまでやって、やれなくなったら終わる、それだけです。
人生を生きる意味・意義がわからず、それにともなって、生きていくためだけにする仕事に疑問を持つ人はどう考えればよいでしょうか。
よくある話では、「会社と家の往復だけ。仕事は忙しく、家では寝るだけ。好きなことも特になく、休日は寝て過ごしてしまう。こんな人生にいったい何の意味があるのだろう」などです。
人生は楽しいことをするためにあるものではありません。楽しんでもよいですが、楽しまなくてもよいのです。あまりにも楽しいことをしてしまうと、楽しい記憶を引きずってしまい、楽しくないときに苦しみます。降ってくる「楽しさ」を享受するくらいが人生にはちょうどよく、「楽しさ」を追いかけてしまうと、欲望の奴隷になってしまいます。「楽しさ」も、あるいは「苦しさ」も永遠には続かないことを知り、心穏やかに日々を送りましょう。
すべての仕事において、”絶対的な意義”はありません。医者だって弁護士だって農業従事者だって工業従事者だってサービス業の人だって、どんな仕事だって”絶対的な意義”は持ち合わせていません。
かつて釈迦は教えを説いて、弟子たちは仏教としてまとめあげました。仏教は現代の人間の”苦しみ”を取り除けているでしょうか。イエス・キリストは苦悩を救えているでしょうか。
本屋に行けば多くの「お悩み解決本」が存在し、巷には精神科や心療内科も多くあります。
しかし、人間たちの努力をあざ笑うがごとく、現代でも困難に満ち溢れた人が大勢います。
すべての人間がいつか終わりを迎える人生で、仕事をどのように捉えればよいか。
仕事とは、あなたが生きている間に人々とどのように関わり合っていくかです。
あなたの良心に反しない限り、どんな仕事をしてもかまいません。犯罪や悪に関わる仕事、やましく感じてしまう仕事は避けるようにしましょう。そのときはよくても精神をむしばみ、大きな苦しみを生む原因になります。
すべての人間が死ぬ運命にあるこの世界で、仕事の意義を求めることは不可能です。求めることができるのは、”ある”ものだけです。”ない”ものを求めてさまよってはいけません。
生きている限り、あなたはどんな努力をしてもかまいません。間違ったことをしていないと思える努力なら、たとえ誰かが無駄だと思っていても、関係ありません。大いに、あなたの能力を発揮しましょう。
あなたに能力があるかないか、大きな仕事ができるかできないか、出世するかしないか、お金を稼げるか稼げないか。多くの人が気にするこれらのような事柄は、究極的には無意味です。
大切なのは、一人一人の人間が自分の人生において、どのように人と関わり合いながら生きていくかなのです。
人とどのように関わっていけばいいか。なるべく人とは離れて生きていくのか、それとも多くの人と関わって生きていくのか。そういった答えは、あなた自身が導き出すものです。他人に言われたから、人生を生きるのではありません。
間違ったことをすれば報いを受けて苦しみますし、妄想に囚われていては思うように生きられないでしょう。
冷静に物事を見て、正しく行動しさえすれば、あなたが会社員であろうが社長、野球選手、サッカー選手であろうが関係ありません。
あなたがする一つ一つのことがあなたをつくり、この世は無常であるがゆえに大小に関係はありません。あなたが歩道でゴミを一個拾って捨てれば、その歩道にはゴミが一個無くなって綺麗になるでしょう。ゴミを十個拾った人が別にいたとしても、あなたが一個のゴミを拾った尊さがなくなるわけではありません。
あなたと世界との関わり方が、あなたにとってのすべてなのです。
]]>あなたは世界で一人しかいません。生まれも環境も人それぞれ違うので、他人と比較する意味はありません。
たとえば、どんなに野球の才能があっても、野球がない国に生まれて野球を知らなければ、プロの野球選手にはなれません。一方で、大きな才能はなくとも、環境に恵まれて成長する人もいます。
あなたがなりたいと思っているあの人は、なるべくしてそうなる環境に身を置いていたのです。
この世界は、生まれた場所や環境に大きく左右されます。
我々は知らず知らずのうちに、様々なことを経験して、「手持ちのカード」を持っています。逆に言えば、「手持ちのカード」しかないことに、ある時気がつきます。
他人が持っている「カード」を羨んでいても、それはあなたの「手持ちのカード」にはなりません。あなたは今の「手持ちのカード」で勝負するしかないのです。
自分にないものを求めるのではなく、何があるのかを見つけましょう。健康・若さ・お金・時間・過去の経験・能力・感受性・専門知識など、何がありますか?生きている以上、何かは必ず見つかるはずです。どれか一つで十分です。
あなたにあるものを活かしてください。
どんな環境が居心地がいいかというと、自分らしく振る舞える環境です。
素の自分を出したり、自分をわかってくれたりする人たちに囲まれていると、リラックスできます。
身体が強くないのに、肉体労働をすることは大変です。細かいことを考えるのが嫌なのに、デスクワークをするのも厳しいです。
人間は自分の性質に合ったものができると、充実感や幸福感を感じます。
自分の性質に合ったことをなんでもすればいいかというと、そうではありません。犯罪を犯したい欲求に駆られても、負けてはいけません。間違ったことをすれば、辛い報いを受けます。
では、あなたは何をすればいいのでしょうか。どのように生きればいいのでしょうか。自分に合った性質のものはどうやって見つけたらいいのでしょうか。
残念ながら、簡単にそれらが見つかる方法はありません。一生、見つからない人も大勢います。自分がこの世界でどんな風に生きていけばいいのかわからないまま、命を終えます。
でも、いつも自分の心の声に耳を傾けていれば、おのずと何をすれば良いのかわかります。良くないのは、自分の気持ちを無視して、「普通の人はこうしてる」などの常識に左右されることです。あなた自身になることに反する常識があれば、それを乗り越えましょう。
もちろん、どんなに自分の本性に合ったことをしていても、困難や壁にぶち当たります。まったく難しさのない人生など不可能ですし、あったとしても面白くはないでしょう。人生には苦労がつきものだと理解していれば、自分の道を見失うことがありません。どんな道を歩いても困難があるのだから、自分の道で出会える困難ならむしろ温かく迎えることができます。そうして生きていく向こう側には、強くなったあなたがいます。
]]>あなたにはあなたの考えがあるはずです。
「これがやりたい」と思っていることがもしできていないなら、それはなぜですか?
「お金がないから…」
「時間がないから…」
「なんとなく落ち着かない…」
「今からやっても無駄かも…」
「バカだと思われたら嫌だ…」
「普通の人ならこんなことやらないから恥ずかしい…」
そうやって、自分の意志とは別の何かに妨げられているのではないでしょうか。
外の世界にはあなたを妨害しようとするものがたくさんあります。あなたがもし家族のことにしか余暇を使えないなら、いくら大切な家族といえども負担に思うこともあります。
「本当に落ち着くタイミング」は、人生には存在しません。いつもあなたの周りには何か不自由なことがあります。誰でもそうです。
でも、あなたにとって、あなたの心の底から湧いてくる意志以上に大切なものなどあるのでしょうか。
まずは、外の世界には自分の意志を妨げようとするものが多くあることを知りましょう。家族・職場の同僚・友達との付き合いなど、たくさんの雑事があります。
その上で、最も大事なのはあなたの意志であることを認識してください。
人生とは、周りに左右されることなく、いかに自分の意志を貫けるかにかかっています。
あなたという人間は、あなたの行為によって存在が証明されます。人間ですから、不安や悩みを抱えてしまうことがもちろんあります。それらに押しつぶされると、何もできなくなってしまいます。しかし、あなたには他人のために使える能力があります。その能力は発揮されることを待っています。
不安や悩みで時間を費やすことをやめましょう。何も解決しません。寝たり遊んだりしているほうが良いです。
行動・行為によってのみ、道は開かれます。
「この疑問が解決したらあれをしよう」と思っているとします。その疑問が解決しても、新しい疑問が生まれます。疑問が生まれる人は、一生なんらかの疑問を持ちながら生きていくものだと思いましょう。
つまり、疑問を言い訳にしていては、死ぬまで行動できないのです。
吹っ切れなくてもいいんです。悩みながらでもいいんです。
あなたが「これをするべきだな」と思う行動をしてください。
他人と比較して頭がいっぱいになるのは愚かなことです。
「不幸」は、他人との比較によって生まれます。自分一人しかいなければ、境遇を比較する他人がいないので、「不幸」を認識することすらできません。
外界に存在するものは、すべてあなたの「思いなし」によるものです。
「他人よりも優れたい」「他人から尊敬されたい」「あいつは邪魔だ」など、自分の意志外のことにかまけていては、大事な時間を失います。
自分で勝手に「勘違い」をして、自分で自分を苦しめるのはやめましょう。
自分がどうすべきなのか認識してさえいれば、自分以外のことに妨げられる理由はありません。
自信を持って、「こうしたい」と思うことを貫いてください。
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