「何者にもなれない」と悩む人がいる。ここで、「あなたは特別だ」とか「人間は一人ひとりが貴重な存在なんだ」などと言うこともできる。これらを否定するつもりはないし、だからといって肯定するつもりもない。
正確に言えば、「よくわからない」ということだけだ。
なんだろう、「よくわからない」ということだけは「よくわかる」。これは人生の面白い矛盾で、醍醐味だ。
「何者にもなれない」と悩むとき、「何者かになった自分」を想像している。特に何かになりたいわけではないが、なんとなく「何者にもなれない」自分の人生は何なのだろうと思うこともあるかもしれない。
「なーーーんかなぁ、なーーーーんか違うんだよな」
「はーーーーーあ、今までの人生なんだったんだろう。これからどうやって生きていこう」
この世界には「キラキラ」した人たちがいて、「あなたが本当にやりたいことをやりなさい」「生きたいように生きるのです」「できると信じなさい」と言っている。
「じゃあそうしよっかな!」とテンション高くなるのもつかの間、また今までの自分に戻ってしまう。
この記事で私の言葉を読む人は、きっと「誠実な」言葉を期待しているのだと思う。主張というのはどこか偏っていて、納得しそうだけど、やっぱり納得できないやと思っているから放浪する。放浪するという言い方が悪印象なら、旅に出る、という感じ。
あなたは「何者かになる」とはどういうことだと思う?
日本で知らない人はいないというほどの有名人?日本一、世界一の美しさ?世界で一番の大富豪?尊敬を集められる人?エジソンやアインシュタインのような天才になる?ごくごく平凡な毎日をただ過ごしたいと思う人?
数え上げればキリがないかもしれない。
結局のところ、いくら他人に憧れてもあなたはその他人になれるわけではない。あるいは、どの他人にもなりたくないあなたは、その他人のようになる必要もないし、なることはあり得ない。
あなたが今現在「何者かになった人」がいると感じているなら、その人は「何者かになりたかった」というわけではない人だ。一流の人達の中には「自分にはこれしかなかった」と言う人も意外にいることを気づいているだろうか。あなたが当たり前のように経験してきたことを、ある人は経験できていない。あなたにはあなたにしかない経験がある。迷い続けてきた、悪戦苦闘してきただけだと思っているかもしれないが、そんなことはない。選択肢が多かったからこそたくさんのことに悩み苦しんで来れたのだ。選択肢が少なければ、ない選択肢の中からやるしかない。あるいは、狭い世界観の中で生きていかざるをえない。
あなたが思う「何者かになる」という概念は想像の産物だ。実際には誰も「何者か」なんかになっていない。どんな人もあるときは喜び、あるときは悲しみ、あるときは怒り、あるときは切なくなる。もちろん、我々人類の記録に残るような人間になる、という「偉業」を成し遂げた人もいる。しかし彼らも、今のあなたと同じような感情を持って生きていたのに、あなたが当たり前のように享受してきた恵みを受けることができなかったかもしれない。それに、自分が死んだあとの世界で自分の名が残って、本当に何になると言うのだろう。
簡単に言えば、あなたはあなたが生きたいと思うように生きていけばいいということになる。
「何者かになる」という言葉を考えるとき、他人の存在なくしてそれを考えることはできない。つまり、他者視点に陥ってしまっている。
重要なことは、あなたが今何をしたいか、何を欲しているかということである。
あなたが好きなように生きていれば、人生はそれでいい。「何者かになる」などといったことは、他人に気を使っているにすぎないのである。
現代社会の人間たちは他人を気にしすぎている。インターネットによる情報過多もあいまって、他人にとにかく影響されることが多い。そうならざるを得ない環境にいると言ってもいい。
意識的に情報を遮断し、独りでいることの大切さを噛みしめるほうが、現代人にとってはちょうど良いかもしれない。
今考えていることは、自分から生まれてきたのか、それとも他人を考えるから生まれてきたのか。そういった視点が求められている。
]]>もちろん、仕事をしないで生きていける裕福な人もいるでしょう。
普通の人でも仕事をしないで生きていけますが、
生活保護を受けたり、養ってもらったりすることになります。
ここでは、生きていく前提で、かつそのためには仕事をする必要がある人を対象にして書きたいと思います。
仕事にそもそも意義、やりがいを感じない人。
人間関係が良くない・プレッシャーが強すぎる・思うように行かない現状の仕事を辞めたい人。
仕事を思うだけで朝起きるのも辛い・人間関係で悩んでいる・仕事ができないから仕事に行きたくない人。
仕事をしている人の数だけ悩みがあります。
今の仕事が嫌なだけで、他の仕事に魅力を感じる人がなすべきことは簡単です。魅力を感じる仕事への転職活動をがんばればよいだけです。今の仕事が終わったら新しい仕事に向けての勉強に励んだり、休日もそのために費やせばいいでしょう。転職をしたい、余暇も過ごしたいというのもけっこうです。でも、人生の時間には限りがあります。1日24時間の中で時間を割り振り、納得のいくように活動しましょう。
今の仕事をやめると生きていけるか不安だと感じるなら、具体的にどのような状態にあれば不安がなくなるのか考えましょう。たとえば、とりあえず3ヶ月生活費があればよい、などです。その間に転職活動をします。失業手当がある人など、状況は一人ひとり違うので、自分にあった答えを出すしかありません。正解はありません。強いて言えば、あなたが必死に出した答えはすべて正解です。
あまりに仕事について不安・心配なら、あなたが過剰に「自己保存」をしている結果です。自分を大切にしすぎているんです。
仕事に行きたくないと思う人は、怒られるからでしょうか、怒鳴られるからでしょうか。みんなの期待に応えなければとプレッシャーを感じているのでしょうか。
あなたに降り掛かっている問題は、解決可能だと信じましょう。つまり、どうしようもないなら、神様が悪いとでも思っていれば良いですし、任せられた仕事がうまくできなかったなら、任せてきた上司が悪いのです。
人間とは、現象にすぎません。あなたや私は人間の身体という、一種の「借り物」をこの世界で身につけているだけです。あなたも私も100年経たないうちに火葬場で燃え、骨となっています。生きている間は、五感でさまざまなことを感じることができます。脳みそでたくさんのことを考えて、世界を解釈します。そして死にます。必死になって「あなた」を守って、大切にして、本能のなされるがままに生存欲求に屈するのは、精神を持つ人間として悔しいでしょう。思うままに生きていくことが、われわれ人間にはできるのです。
仕事に意義ややりがいを感じない人は、普通です。そう感じる人は鋭い人、世の中のことに対して冷めた見方をしがちな人、世界に距離感を感じる人、といったタイプでしょうか。
簡単な話で、すべての人間はいつかは死に、できたものはいずれ壊れます。医者は病気を治す手助けをしますが、患者の寿命が少し伸びたり、苦痛を和らげる・なくすことしかできません。何年後か何十年後には死ぬ人たちの治療を行います。もし”絶対的な意義”を求めるなら、死ぬ運命にある人間の延命をする医師の仕事は無意味でしょう。
建物を作る人だって、その建物は未来永劫残り続けるわけではありません。食料を生産している人だって、今生きている人たちの胃袋を満たしていますが、どんな食べ物であったとしても人間を永遠に生かすことはできません。
一般的に立場が良い・尊敬されるような仕事でさえ、根本的なところを突き詰めていけば”絶対的な意義”はありません。短い人生の中で「あの仕事は立派だ」「あいつは出世して偉い」などと言って、妄想に翻弄されて生涯を終えるのが大半の人たちです。
現代日本では、ホームレスの人たちもホームレスなりの仕事をしています。路上で乞食をして生きていくことが非常に困難、ほぼ不可能だからです。働かずに収入を得るにはさまざまな手段がありますが、積極的な不労所得という意味では資産運用の配当などがあります。しかし多くの人には関係のない話です。
他に、生活保護や年金などもあります。これらは自分がそのお金を受け取る資格があるかどうかが大事です。生活保護を不正に受給すれば、その不正をした人生を背負うことになります。人生の幸福は心の清らかさ・平安にあるので、間違ったことをしていれば報いを受け、苦しむことになってしまいます。生活保護などは、自分がどうしてもそういう状態になってしまったときに考えればよいのです。
遺産や貯金がない人は、基本的に仕事をして生きていくことになります。
仕事の種類・労働時間・労働環境・向き不向き・給料の多い少ない、などの問題と向き合います。
具体的な問題で悩んでいる人は、解決が簡単です。給料が少ないなら残業をして長時間働くか、給料が高い職への転職を考えねばなりません。
「それが簡単にできるなら苦労しない!」と言うなら、不可能なことを考えて悩んでいるようなので、不思議です。
太陽はなぜ西から昇らないのかと腹を立てているのと同じです。
どうしようもない状況であるならば、ジタバタする必要はありません。やれるところまでやって、やれなくなったら終わる、それだけです。
人生を生きる意味・意義がわからず、それにともなって、生きていくためだけにする仕事に疑問を持つ人はどう考えればよいでしょうか。
よくある話では、「会社と家の往復だけ。仕事は忙しく、家では寝るだけ。好きなことも特になく、休日は寝て過ごしてしまう。こんな人生にいったい何の意味があるのだろう」などです。
人生は楽しいことをするためにあるものではありません。楽しんでもよいですが、楽しまなくてもよいのです。あまりにも楽しいことをしてしまうと、楽しい記憶を引きずってしまい、楽しくないときに苦しみます。降ってくる「楽しさ」を享受するくらいが人生にはちょうどよく、「楽しさ」を追いかけてしまうと、欲望の奴隷になってしまいます。「楽しさ」も、あるいは「苦しさ」も永遠には続かないことを知り、心穏やかに日々を送りましょう。
すべての仕事において、”絶対的な意義”はありません。医者だって弁護士だって農業従事者だって工業従事者だってサービス業の人だって、どんな仕事だって”絶対的な意義”は持ち合わせていません。
かつて釈迦は教えを説いて、弟子たちは仏教としてまとめあげました。仏教は現代の人間の”苦しみ”を取り除けているでしょうか。イエス・キリストは苦悩を救えているでしょうか。
本屋に行けば多くの「お悩み解決本」が存在し、巷には精神科や心療内科も多くあります。
しかし、人間たちの努力をあざ笑うがごとく、現代でも困難に満ち溢れた人が大勢います。
すべての人間がいつか終わりを迎える人生で、仕事をどのように捉えればよいか。
仕事とは、あなたが生きている間に人々とどのように関わり合っていくかです。
あなたの良心に反しない限り、どんな仕事をしてもかまいません。犯罪や悪に関わる仕事、やましく感じてしまう仕事は避けるようにしましょう。そのときはよくても精神をむしばみ、大きな苦しみを生む原因になります。
すべての人間が死ぬ運命にあるこの世界で、仕事の意義を求めることは不可能です。求めることができるのは、”ある”ものだけです。”ない”ものを求めてさまよってはいけません。
生きている限り、あなたはどんな努力をしてもかまいません。間違ったことをしていないと思える努力なら、たとえ誰かが無駄だと思っていても、関係ありません。大いに、あなたの能力を発揮しましょう。
あなたに能力があるかないか、大きな仕事ができるかできないか、出世するかしないか、お金を稼げるか稼げないか。多くの人が気にするこれらのような事柄は、究極的には無意味です。
大切なのは、一人一人の人間が自分の人生において、どのように人と関わり合いながら生きていくかなのです。
人とどのように関わっていけばいいか。なるべく人とは離れて生きていくのか、それとも多くの人と関わって生きていくのか。そういった答えは、あなた自身が導き出すものです。他人に言われたから、人生を生きるのではありません。
間違ったことをすれば報いを受けて苦しみますし、妄想に囚われていては思うように生きられないでしょう。
冷静に物事を見て、正しく行動しさえすれば、あなたが会社員であろうが社長、野球選手、サッカー選手であろうが関係ありません。
あなたがする一つ一つのことがあなたをつくり、この世は無常であるがゆえに大小に関係はありません。あなたが歩道でゴミを一個拾って捨てれば、その歩道にはゴミが一個無くなって綺麗になるでしょう。ゴミを十個拾った人が別にいたとしても、あなたが一個のゴミを拾った尊さがなくなるわけではありません。
あなたと世界との関わり方が、あなたにとってのすべてなのです。
]]>自分に満足することは、良いように見えることがあります。「足るを知る」という言葉があるように、身を滅ぼすほどの欲望は自制するべきでしょう。
しかし、もし自分のことしか考えず、「これで満足だ」と他人に何もしないでいれば、あなたは迷い続けます。
あなたは今、本当に何もしなくていい状態でしょうか。
やるべきことがあるのにやらないでいることは、あなたを苦しめます。何もせずに悠々自適な生活、というと羨ましく思うかもしれません。でも人は裕福で働かなくていいからといって、幸福になるわけではありません。
張り合いのない・自分が生きている意義を感じない日々では空虚な気持ちになります。
何かをしなければならないのではありません。するべきだと感じることをしましょう。
「するべきことがないな」と思うなら、見つける工夫をしましょう。病気でもなく健康であれば、あなたにできることはたくさんあります。病気を抱えながらでも、懸命に自分の果たすべき役割を果たす人もいます。
あなたの能力・仕事で助かる人たちがいることを忘れないでください。
どんなに苦しい状況であっても、「最低最悪」なことばかりが起こるわけではありません。時にはほっとする瞬間があったり、愉快なことが起こったりします。
どれほど苦しくても、一歩引いて冷静に状況を見てください。そうすれば、大変な状況の中にあってもなお、心の「ゆとり」を持つことが可能です。
「不可能だ!」と思うことがあれば、いっそう知恵を絞り、探求してください。「人生でこんなに最低な時はない。何も明るいことがない」と感じる一方で、「いや、これは神様からの試練なんだ。今は悪い状況かもしれないけど、そのうち変わる。止まない雨はないんだ」と、落ち着くことができます。
・何かに惑わされることなく自分の意志を貫く
・避けるべき困難を避ける
大人としての成熟は、この二つを上手くこなすことにあります。
人生には困難なことが降りかかってきます。だからといって困難を100%苦しむ人生を歩まなければならないことはありません。
あなたにはあなたの意志があります。それは本来、外部の影響で消滅させてはならないものです。
困難なことと折り合いをつけながら、なるべく自分の思う通りの人生を歩めるよう努力しましょう。
あなたのこれまでの経験から「これはまずいことになりそうだ」と判断できることは、なるべく避けるべきです。あるいは、予防をしましょう。
当たり前のように思えますが、面倒なことをきちんと避けるのは重要な能力です。
たとえば、「あ、この人の話長くなりそうだな」と思っていても、その場に居続ければ長話を聞く羽目になります。何の得にもならないとわかっているなら、早々に離れるなど対処してください。
人生はただでさえ予期せぬ不幸に見舞われるものです。予想できる「やばいこと」を不必要に味わう必要はありません。頭を使ってそれを避け、あなたのやりたいことを実現してください。
]]>あなたにはあなたの考えがあるはずです。
「これがやりたい」と思っていることがもしできていないなら、それはなぜですか?
「お金がないから…」
「時間がないから…」
「なんとなく落ち着かない…」
「今からやっても無駄かも…」
「バカだと思われたら嫌だ…」
「普通の人ならこんなことやらないから恥ずかしい…」
そうやって、自分の意志とは別の何かに妨げられているのではないでしょうか。
外の世界にはあなたを妨害しようとするものがたくさんあります。あなたがもし家族のことにしか余暇を使えないなら、いくら大切な家族といえども負担に思うこともあります。
「本当に落ち着くタイミング」は、人生には存在しません。いつもあなたの周りには何か不自由なことがあります。誰でもそうです。
でも、あなたにとって、あなたの心の底から湧いてくる意志以上に大切なものなどあるのでしょうか。
まずは、外の世界には自分の意志を妨げようとするものが多くあることを知りましょう。家族・職場の同僚・友達との付き合いなど、たくさんの雑事があります。
その上で、最も大事なのはあなたの意志であることを認識してください。
人生とは、周りに左右されることなく、いかに自分の意志を貫けるかにかかっています。
あなたという人間は、あなたの行為によって存在が証明されます。人間ですから、不安や悩みを抱えてしまうことがもちろんあります。それらに押しつぶされると、何もできなくなってしまいます。しかし、あなたには他人のために使える能力があります。その能力は発揮されることを待っています。
不安や悩みで時間を費やすことをやめましょう。何も解決しません。寝たり遊んだりしているほうが良いです。
行動・行為によってのみ、道は開かれます。
「この疑問が解決したらあれをしよう」と思っているとします。その疑問が解決しても、新しい疑問が生まれます。疑問が生まれる人は、一生なんらかの疑問を持ちながら生きていくものだと思いましょう。
つまり、疑問を言い訳にしていては、死ぬまで行動できないのです。
吹っ切れなくてもいいんです。悩みながらでもいいんです。
あなたが「これをするべきだな」と思う行動をしてください。
他人と比較して頭がいっぱいになるのは愚かなことです。
「不幸」は、他人との比較によって生まれます。自分一人しかいなければ、境遇を比較する他人がいないので、「不幸」を認識することすらできません。
外界に存在するものは、すべてあなたの「思いなし」によるものです。
「他人よりも優れたい」「他人から尊敬されたい」「あいつは邪魔だ」など、自分の意志外のことにかまけていては、大事な時間を失います。
自分で勝手に「勘違い」をして、自分で自分を苦しめるのはやめましょう。
自分がどうすべきなのか認識してさえいれば、自分以外のことに妨げられる理由はありません。
自信を持って、「こうしたい」と思うことを貫いてください。
]]>この記事では、頭痛がするほどのストレスをいかに少なくしていくかに焦点を当てます。
ストレスがたまるのは、もちろん環境のせいもあります。ストレスフルな場所が世の中にはあるものです。しかし、あなたの考え方しだいでストレスは激減します。
ストレスがたまらない考え方を身につけましょう。そうすれば仕事であろうとプライベートであろうと無敵になれます。
サンマーク出版、さとうみつろう著『悪魔とのおしゃべり』より引用させてもらい、参考にしております。
「正しさ」のせいで貴様ら人間は苦しんでいる
人間は「正しさ」以外の方法で、苦しむことなどできない
「正しさ」を抱えすぎた貴様らは、今では何もできやしない。文字通り、身動き1つ取れない。道も歩けない。息も吸えない。「やりたい」こともやれない。それどころか、自分が何を「やりたい」かを言うことすらできない
あなたはなぜ自分が今ストレスを抱えているのか理解していますか?人によって過去も現在の状況も違うので、人それぞれストレスの原因が違うと思っているかもしれません。
しかし、頭痛がするほどストレスを抱えている方には共通点があります。みんな自分が思っている「正しさ」で苦しんでいるのです。
たとえば
・職場の人たちと仲良くやるのが正しい
・いじめがないのが正しい
・仕事にやる気がある自分が正しい
・かっこいい・かわいい私が正しい
・人から尊敬される自分が正しい
そんな風に、自分の頭の中で「これが正しい」と思っています。
ですが、現実はあなたの「正しさ」と矛盾しています。だからストレスに苦しむのです。
世界には絶対的な「正しさ」はありません。あなたの中にしか「正しさ」はないのです。もちろん、一般常識や法律のような「正しさ」はあります。それは、「多くのの人たちが「正しい」と思っているのかな」程度の「正しさ」です。
あなたがそれらを「正しさ」とするのかは自由です。
いずれにしても、「こうあるべき」と思うことと現在がずれているから苦しみます。
自分を責めるヒマがあったら、『正しさ』を疑え!
抱え込んだ「正しさ」が、実はその人の未来の可能性を奪っている
今の貴様らに必要なのは、もはや「悪」だけだ
過去を振り返って、「なんでこんなことをしてしまったんだ!バカな自分」などと責める必要はありません。
たとえば仕事のミスなら、誰でも仕事のミスはします。何度も同じ間違いを繰り返すことも、人類の歴史上いったいどれだけの人間がそうしてきたと思っているんですか。
誰かを傷つけたからといって、みんな誰かを傷つけたり誰かに傷つけられたりするんです。あなただけが特別ダメなのではありません。
「こうするべき・ああであるべき・これはダメ」などの「正しさ」があなたを縛りつけています。たとえば「新しいことをはじめたいけど、歳をとってるから諦める」とします。「歳をとったら新しいことには向かない」なんていうよくわからない「正しさ」のために一歩を踏み出せない。そんな「正しさ」は必要ないと思いませんか。
人間はいつだってどんなことだっていつからだって挑戦していいんです。バカにされる・理解されない・失敗する・みじめになることがあるかもしれません。しかし、それがなんだというのですか。
あなたが持つ「正しさ」を疑ってみてください。いかに「正しさ」に縛られているかわかります。それらを「正しい」ままにしておいていいのか、疑ってみてください。
世界中、クズしかいないと思っている
自分にすら期待してはいけない
過去の自分を、勝手に盛るな!あなたは今日と変わらず、過去でもどうしようもない人間だった
世界中には、醜い感情にまみれながら欠点をさらけ出して生きている人たちばかりです。自分たちのことは棚に上げて、まるで立派なことをやっているかのように装っています。
残念ながら、あなたもそんな人間たちの一員です。どうしようもない欠点がたくさんあります。なので、自分にも過度な期待をしなくてかまいません。
あの頃はよかったと、過去が輝いてみえることがあるかもしれません。毎日が冒険だった子ども時代、友達との触れ合いが楽しかった学生時代、お金はなくとも夢と希望があった青年時代など。
しかしそれらは今のあなたが作り出している妄想です。その頃にはその頃なりの苦労があったはずです。すっぽり抜け落ちています。また、そんな「素晴らしい」時代を経て成長したのが今のあなたです。
本当に昔のあなたが素晴らしかったなら、なぜ今のあなたは素晴らしくないのでしょうか?ストレスに悩んでいるのでしょうか?
以前の自分が優れていたことなんてなかったのです。そして昔も今も「あなた」のままです。
過去を美化するのをやめましょう。
全ての怒りは相手のせいじゃなく、相手に期待した自分のせい
「誰にも」「何にも」期待していない人間は、怒ることが絶対にできない
さきほど言ったように、世の中は「どうしようもない」人たちで構成されています。なので、本当は期待する意味なんてないのです。
これはすごく冷たく聞こえるかもしれませんが、どんなに大切な人でも人間は人間です。不完全です。
怒りの感情は、期待が裏切られた時にしか発生しません。これは、たとえば仕事で注意をしたり子どもを叱ったりするのとは違います。必要だからすることと、怒ることは別物です。
この世界に怒るほどのことがないという真実、むしろ寂しいですか?
世界は、どうしようもない奴らの集まりだ。あなたと何1つ変わらない、実にくだらない人間どもが、向こう三軒両隣り、さらにその先までひしめき合っているのが、この世界の実相だ
このあまりにもどうしようもない星に。なんだか、笑いが込み上げてこないか?イーッヒッヒッヒ
人間は誰しも悩み苦しみ、くだらない間違いを繰り返し犯します。あなたがもし違う星の民族だとして、地球の人間たちを見たらどう思うでしょうか。
人を助けることも、憎むことも、恨むことも、愛することもする人間たち。通勤電車では圧迫死されそうになりながら、どうせ死ぬのにストレスを抱えながら働きに行きます。本来自分のものでもないものを自分のものだと思い込み、挙げ句の果てには死んだ後にもそれを守ろうとします。
どうしようもないですが、すごく興味深いと思うのではないでしょうか。
あなたがストレスを感じるなら、この世界に対して一生懸命すぎるのです。もっとくだらないのです。真剣にやることもあるけど、それがまた面白いのです。あなたに必要なのは、くだらない人間世界への達観と、楽しめるものは楽しんでしまうユーモアです。
「生きる」ということは、誰かへ迷惑をかけることだ
貴様ら人間は、「自分は悪いことをしていない」と言い張っているが、少し違う。「自分が悪いことをしている」と気づいていないだけだ。どんな善い行いも、同じ量の悪さを含んでいるのが当然さ
それなのに、目に見える「善い」部分だけをひけらかす[善人]というのがこの街には溢れている
迷惑をかけずに生きてきた人はいません。生まれたばかりの時には親など大人の世話にならなければなりません。
自分は知らないうちに誰かに迷惑をかけていることを認識しましょう。なるべく迷惑をかけないように心がけることは良いことだと思いますが、やむを得ない時はお互い様です。もしあなたが急に胸が苦しくなって、誰かに救急車を呼んでもらうとします。「いや、迷惑だから…」なんて言っていたら命に関わります。
迷惑をかけることもあるから、身近な人には小まめにお礼を言っておきましょう。
迷惑をかけられても助けてあげる、あるいは許してあげてください。
本当に自分のことしか考えないタイプの迷惑な人もいますね。老人、中年、若者など、それぞれの世代にどうしようもない人たちがいます。そんな人たちに腹が立っても仕方ありません。ダメな人はずっとダメなままで、「これをしたら他人に明らかに迷惑をかけるな」と思える想像力もありません。そのような想像力がないので、かわいそうな人たちなのです。自分のことしか考えないから他者を助けられません。自分も助けてもらえないので、いっそう自分のことしか考えられません。悪循環です。憎しみに囚われた人たちに同情し、許してあげましょう。
「正しさ」にとらわれなくなると、どんなことでも楽しくなります。「正しさ」は自分が苦しむために持つものではありません。
たとえば、猛暑が続く夏なのに、学校にクーラー
がつかないとします。以前とは明らかに違う夏の暑さです。なのに、クーラーを導入できない学校があります。経費がかかるし、そもそも今までなくてもやってこれたんだから大丈夫ではないかと。熱中症は命の危険もあり対策が必要ですが、大人の考えで導入できていないわけです。
これを「なんて大人たちなんだ!子どものことを何だと思ってるんだ!」と感情的になるのは良くないことです。
必要なものをすぐに取り入れようとするほど人間は柔軟な生き物ではありません。人類の歴史では、進もうとする者に対して進むまいとする者が常にいます。そうやって人間は生きてきたのです。
クーラーのない学校に通う子どもがあなたにいるなら、学校などしかるべきところに必要な主張をするべきでしょう。しかし自分にまったく関係ないのに「そんなひどい話はない!」と怒っているなら、その人はどれだけ暇なのでしょうか。
俗世間には、自分に関係がないのに人様のことで感情を乱す人が大勢います。立派でもない人が、たまたま過ちを犯した立派な人を責め立ててもてあそびます。「立派な人はそもそもそんな過ちなんてしない!」と思うのはあまりにも人間として未熟です。どんな人間でも過ちを犯し、程度にもよりますが、それが犯罪となるかは紙一重なのです。犯罪は時代によっても変わる気まぐれな性質を持ちます。
「白か黒か」で人間や物事を判断するのはやめましょう。さまざまな色が溶け合った「カラー」で世の中を見ましょう。すると、あなたは一つ成熟します。こうでなければならないという「白か黒か」の思い込みから離れ、いつの間にかストレスがなくなっています。
「どこかが悪い」と思い続けた女性の「勘違い」以外は、何も悪い所などなかった
現状を疑い続ける姿勢こそが、現状を悪くしていた
とにかく、世界には「正しい」勢力がはびこっている。彼らは、「もっと、良くなれる!」と言う。その全てが「今は良くない」と言ってるわけだ。「現状」をもう否定しているのさ
幸せを探している人が、一番「幸せじゃない」
「お金があればもっと楽しく暮らせるのに」
「顔さえ美形で産まれてくればモテモテだったのに」
「この人とさえ結婚しなければもっといい人と結婚していたのに」
現状を肯定できず、ありもしない空想を正しい状態だと思っていませんか。「自分はこんなはずではない」と、頭の中の「正しい」自分を作り出します。ですが当然、頭の中の自分と今の自分は食い違います。
今のあなたは、ベストを尽くしてきた結果です。もっとできたはずの過去なんてなかったのです。
頑張れなかった
決断できなかった
勇気がなかった
つまらないミスをした
ドジを踏んだ
これらがあって普通なのです。人間ですから。
だから、過去を悔やんだり、未来に都合の良すぎる空想に浸るのはやめましょう。
あなたがやりたいことを好きなようにやればいいのです。「正しさ」に左右されることなく、軽快に、笑いながら生きましょう。
「能力」には、「行使する者」と、「行使される者」が必要なんだから。人は、1人では優しくなれない
「優しさ」という能力は、「優しくされる人」と「優しくする人」がいて初めて行使できる。全ての「能力」が、そうだ。歌唱力も、腕力も、背の高さも、器用な手先も。1人では、その能力が行使できない。要するに人間の「能力とはすべてが、他人のためにあるのさ
私が持たされている他の人よりも優れた「能力」とは、世界のために使うモノだ
「わたし」とは「だれか」のためにある道具
あなたにある「能力」はすべて誰かのためにあります。自分のための「能力」もあります。食べたり飲んだり息をしたりすることなどです。この能力がなければ、自分で自分を生かすことはできません。
一般的に考えられる「能力」とは面白いことに、他人がいなければ成立しません。世界に人間が一人しかいないのに足の速さは競えません。他人がいてこそ自分の足の速さがわかります。
あなたの「能力」が人より優れているかどうかは重要ではありません。あなたに「能力」があることそのものが大切なのです。なぜならあなたは人間である以上、何かしらの「能力」があるはずだからです。
たとえ不自由を抱えていて社会貢献が難しくても、家族の生きる支えとなる「能力」があるかもしれません。
あなたは自分の「能力」を他者との比較においてだけ見ていることはないですか?たしかにあなたはサッカーが少しできたとしても国の代表選手にはなれないかもしれません。でも、近隣のアマチュアサッカーチームに入ってプレーすることはできます。サッカーが好きな人たちと共にプレーすることそのものが、他人への貢献と言えるのではないでしょうか。
もしあなたが「能力」に劣等感を感じて「能力」を発揮するのを躊躇するなら、本当に残念なことです。「能力」を優劣だけで判断してはいけません。「能力」の意義は、その発揮によって他者に貢献してこそ生まれるのです。あなたの「能力」が高いか低いかはどうでもよいということです。
高い低いという比較を超えた「能力」。あなたにもあります。あなたの「能力」が発揮されることを待っていますよ。
自分も、他者も肯定しましょう。同じ人間です。辛いことも悲しいことも、楽しいことも愉快なこともあります。すべての人間が死に、時代は変わっていきます。また新しい人間たちが、同じようにいろんなことを思いながら生きます。あなたもそんなつながりの中にいます。
ストレスを抱えてしんどいことも、そのうち終わります。終わらないものはないのです。ストレスさえも愛してみてください。「ああ、こうしてはるか昔から人間はストレスに耐えてきたんだな」と。ストレスを感じることは、あなたが人間である証とも言えます。そしてストレスは克服することができます。
すべての「正しさ」を乗り越え、あらゆるものを愛してみてください。あなたの「能力」を発揮し、好きなように生きてみてください。
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